右折待ち

某駐車場でよく一緒になる白いクアトロポルテ。

見かけるたびに「うへー、カッコいいなぁ。出来れば音も聴きたいよ」と涎を垂らしそうな勢いでネチネチ眺めている。このようなおクルマを運転するお方はどんなに渋いおじさまなのだろう、と勝手に妄想する日々が続いていたが、先日ついにドライバーに遭遇した。
どう見てもカタギじゃなかった。

さて、道路を走るにあたって避けては通れない右折待ちの状態。私も毎日やっているが、交通量の激しい交差点は大抵、時差式か矢印式なのでそう慌てることもない。一方、こちらが左折で一番イヤなのは、歩行者が渡っているのに無理やり突っ込んでくる右折車。怖い。同じタイプに、こちらが直進で前車が左折の時も突っ込んでくるクルマがいる。そして突っ込んで来てから歩行者に気付いて直進車線を塞ぐという結末に。右折する時は分離信号じゃなければ歩行者、勢いつけて走ってくる自転車もちゃんと見ようよ、といつも思う。

色々と恐ろしい右折ではあるのだが・・・

自分が右折待ちで対向車の流れが全然途切れない時、ふっと異世界に移動したかのごとく、ほっとする瞬間がくるのだ。自分の両側で上下にクルマが行き交う流れがあり、それらが作る空気の動きの中で、自分だけが孤島に取り残されているような気持ちになるのが心地いい。これはまるで、NYに滞在した時の気持ちに似ている。あちらは多種多様な人種が歩いているせいで、自分を外国人だと意識することがない特異な街だ。透明人間になったかのような、そんな気楽さを感じた。あの時の安心感みたいなものを、右折待ちの時に感じたのだった。ほんのわずかな時間なのだけれど。

people go, people come.
このような状態の中にいる時、私は安堵する。それを右折待ちの時に感じるのは初めてだったので、ちょっと記しておきたくなった。

 

このところ、愛車で遠出する機会がずいぶんと減った。正確には、遠出を計画していない、と言ったほうがいいだろう。高速道路もずいぶん利用していない。毎日の通勤のみが私の愛車タイムとなってしまった。その代わり、週末などは娘が時たま運転して出かけたりしている。停まっている愛車を見るたびに「美しいクルマだ」と相変わらず感じているのだが、遠くまで走らせてあげるのはまだ先のことになりそう。今は目の前のことに対処する時期。今年度の提出物は試験も含めてすべて終わり、あとは採点結果を待つだけとなった。この騒ぎで行事や講座はすべて中止や延期となり、確かに自宅に籠もって翌年度の課題に手をつけておくのは正しいやり方かもしれない。

私にとって、例えばデッサンとクルマの運転には、共通点がある。
デッサンの授業は毎回、緊張する。白い紙を目の前にすると、とてつもない不安が襲ってくる。「どうしよう、とても描ける気がしない」と毎回毎回思う。これは慣れることがない。クルマの運転でも、毎朝運転席に乗り込みエンジンを始動させた後、途端に自信がなくなり不安が襲ってくる。「無事に職場まで到着出来るだろうか」と。

それでも、デッサンなら描き始めて先生が2度目に回って来てくださるぐらいになると、ちょっと不安は和らぐ。クルマであれば、10キロくらい走るとようやく心が落ち着いてくる。

回数を重ねても決して慣れないことと、慣れることが存在する。その違いはどこから来るのか、自分でも良くわからない。別にわからなくてもいいのだけど。

 

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