結局我々はどうするべきか

納車祝いに素敵なキーリングを頂いた(クルマを乗り替えたにも関わらず引き続き気にかけて下さるルノーな皆さん、本当にありがとうございます)。

赤、金属、という私の大好きなマテリアルで出来ており、箱を開けた時は思わず歓声をあげた。身に着けるアクセサリーなんかより、ずっと感動する。一緒にくっついているのは自分で買った国芳の金魚モチーフ。ルーテシアのシルエットはぷっくりした金魚っぽかったなぁ。

毎日持ち歩くクルマのキー。ゆえにキーの装飾品のチョイスは結構重要。ルーテシアの時はmo☆noさんデザインの素晴らしいキーカバーをずーっと愛用していた。Zはインテリジェンスキーなのだけれど、運転中はあえてキースロットに差し込んでおくのが好きだ。たとえ直接エンジン始動に必要がなくても、キーを差し込んでエンジン始動、エンジン停止してキーを抜き取る、という動作が多分好きなのだと思う。

さて、このサイトで、かなり初期に書いた記事に、こんなのがあった。

[blogcard url=”https://www.herfavouritecar.jp/car-femmehomme170401″]


先日、FSWに行くのに元彼のBMWに同乗した時のこと(もちろん、ドアは自分で開けて乗ったし自分で開けて降りた)。

道中、コンビニに寄って朝ごはん(と言ってもパンとか軽めのもの)を買った。再びクルマは走り出し、運転席の元彼はおにぎりを器用に食べ始めた(あのコンビニのおにぎりの包装を、運転しながら操作出来る人を私は素直に尊敬するし、ドライブスルーで受け取ったハンバーガーやポテトを運転しながら即食べられる人も尊敬する)。


「あれ?食べないの?」と訊かれる。

A「着いたら食べるよ。人のクルマの中で食べたくない」
元「え!?なんで?」
A「だって汚すの嫌じゃん」
元「そんな食べるの下手?」(そーゆー問題じゃないんだっつの)
A「気が付かないうちにこぼすかもしれないし、匂いとかイヤじゃない?」
元「別に気にならないけどなぁ」

自分がされて嫌なことは、人にもしません(例外もあるけど)。
人のクルマを汚すことはもちろん、傷つけることも避けたいので、この日私は金属やジャラジャラした物を一切身に着けていなかったが、そんなことには一切気づいてない(考えも及ばない、と言ったほうが正しいかも)タイプもいるのだ。

愛車がルーテシアからフェアレディZロードスターになり、車幅もドアも広くなった。さらに、ドアを開ける時はウインドウが少し下がるパーシャルダウンウインドウシステムが発動、ルーテシア以上にドアの開閉には気を遣うようになった。家族や友達なら「そっと閉めてね」とか「こうやって閉めて」と手本を見せるとかしても無問題なのだが、「わかってなさそうな人」を乗せる時はどうすべきか。

とあるドライバー(男性)の証言。
女性を乗せる時。一般的な女性はクルマをそれほど大事だと思ってないから、何も考えずにバタン!!って閉めたり、力が無いから必要以上に力を入れて閉めたり、ウインドウに手を当てて押して閉めたりするんだけど、本音はやめて欲しい。でも、それを指摘すると「いちいち細かい人ね!」と思われそうだし面倒くさい。だから、別に紳士のマネをしてるわけじゃなく、揉めたくないからドアの開閉はやるようにしている。

彼氏彼女とデート、本来なら楽しいはずなのに我々はこんな気苦労をするのだ。

かく言う私も、大昔に当時の彼氏と車内で大喧嘩をして怒りのあまり下車し、ドアを力まかせに乱暴に閉め、タイヤを蹴飛ばしたことがある。ごめんなさい!!!
一方で、上に出てきた元彼は約20年前、左ハンドル車に乗っており、私を送って家の前の道で降ろす時、必ず「ちょっと待って、今クルマが後ろから来るから」とか「自転車来るから待って」とか安全確認をしてから、「降りて大丈夫」と言ってくれていた。当時は「優しいなあ」と思っていたが、今ならわかる。別に私のことが心配なのではなく、クルマが傷ついたり事故になったりしたら嫌だからそう言っていたのだ。そういう時もあったのに、食べ物こぼすのはいいのか?

やっぱりエスコートしちゃうのが一番平和的解決だと思う。どちらもそれで気分良くクルマの乗り降りが出来るなら、それくらいの手間は惜しまないつもりで、がいいのかも。もちろん、「わかってる人」がベストではあるけれど・・・女性に限らず、男性でもクルマに興味がなかったり、ただの道具だと思ってる人もいた。話をすればだいたいわかるので、そういう人を乗せる時は最初からドアを開けてあげていた。大抵は感動してくれるが、私の意図はもうそこにはない。昔は多少なりとも「私の愛車へようこそ」的な思いもあったが、今はどちらかと言うと「とにかく安全に車内へ誘導」のほうが本音だ。まぁ相手によるかな笑。

けれども、冷静に考えてみたら。
正直言ってもうこの先、私がよく知らないような人とか、クルマに対してどういう価値観を持っているかわからない人とか、つまり「付き合いの浅いどうでもいい人」は乗せないと思う。私の愛車は荷物も人もワイワイたくさん載せられるタイプのクルマではない。2シーターで、スポーツタイプで、おまけに屋根が開く。こんな特別な空間に乗せるのは、私が気を許している好きな人々だけにする。だから、上に書いたようなことはもう心配する必要がない。ストレスフリー万歳!!

関東の道路が凍る前に、会いに行ける人々にはZで会いに行きたいと思っている。

「結局我々はどうするべきか」に2件のコメントがあります
  1. 昭和の終わりの頃、ある女性を初めて、クルマで迎えに行った。彼女は、助手席のドアを開け、頭から入ろうとして、ぼくはとてもあわてた。
    「我が家は高度成長に乗り遅れたよ」と言っていた意味がわかった。ほとんどの家にクルマがあったけど、彼女の家にはなかったのだろうし、乗る機会も無かったのかもしれない。
    1964年の東京オリンピックのとき、都民向けに配られたマナー本のなかに、頭から乗車しようとするイラストにバッテンが付けられていたのを見たことがあるけど、ほんとに見たのは初めてだった。
    その後、数回は、僕が助手席を開けて、彼女にお尻から乗ってもらった。

    1. トノサマカエルさん、こんばんは

      ショートストーリーみたい!
      頭から乗る、というのがピンと来ないのですが、最初に頭を入れて後から下半身を入れる、ということなんでしょうか。
      とても可愛らしいシーンを想像しました。無事にお尻から乗れるようになって良かったです。
      そういう私もZには足からではなくお尻から乗車しています。座面が低いので、先にお尻をついて、
      両足を引き入れたほうが乗りやすいしエレガントに見えると思って・・・(自己満足)。
      また素敵なストーリーをお聞かせください!

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