この春卒業した大学は京都が本校であるものの、東京キャンパスでもスクーリングが受講出来る。私のケースでは、日本画の専門スクーリングは東京で受講、その他のデッサンや講義科目などは京都で受講した。なぜなら、東京では平日のみ開講の科目もあり、仕事をしている身としては週末しか出席出来ない。京都はほぼすべて週末開講なので、金曜に仕事が終わるとその足で小田原から新幹線に乗った。
金曜日の21時台にホテルにチェックインし、翌日の土日は9時半から17時半まで授業、日曜日の20時台の新幹線で帰ってくる、というのが定番のスケジュールだった。ホテルは通学する利便性の高い三条付近を選んで予約していたので、私が唯一、京都市内で土地勘があるのが三条通り付近である。学校は銀閣寺よりさらに北にあるので、京都駅からだとバスで1時間はかかる。三条付近からだとバスにも乗れるし、地下鉄と京阪を利用することも出来るので、便利だった。地下鉄も東西線、烏丸線の駅が近いので、わりと自在に京都市内を巡ることが出来る(と、今回初めてわかった)。
交通費と宿泊費がかかるが、京都キャンパスで授業を受けないのはかなりもったいない。東京キャンパスは大学という雰囲気はあまりないが、京都は当然通学部もあるので学食もあれば活気もあり、しかも芸術大学なので色々と楽しい。私が最初に京都で受けた授業はヌードデッサンで、校舎の裏の山を登ったところにデッサン室があり、そこで彫刻家の先生に指導を受ける、という夢のような体験だった。東京キャンパスはすべてが同じ教室で行われるので、そういった感動はない。講師の先生方は京都も東京もそれぞれ皆さんとても熱心に指導して下さったので、感謝している。何名かの先生方から受けたアドバイスは、今も制作する上での座右の銘になっているものもある。
そんな大学の思い出もあり、京都は私にとって思い出深い地となった。それまでは特に思い入れがなかったのだが、お気に入りの場所が増えるにつれ、好きな街に。タクシーの運転手さんが「京都は季節ごとに1回訪れるくらいがちょうどいいですわ」と言ってたけど、そうだと思う。私は夏の京都が好きだ。
毎回京都駅に到着する時は、仕事帰りであることに加え、あまりの人の多さに疲労困憊し「京都に来た」という実感を持つことはなかった。だから、翌朝徒歩で三条大橋を渡る時に、「京都に来た」と感じたものだ。
3月最後に宿泊したホテルARUには屋上があり、東山方面が一望出来る。
京都という街に何を期待するか、という点で印象は違ってくると思うのだが、芸術鑑賞では脳内タイムマシンを使わなければならないことが多々あるので、歩いているだけでも楽しいのは事実だ。反面、私は食事にはまったく興味がないという悲しい性質なので、食とかスイーツに関しては何も知らない。そもそも抹茶も苦手というハンデがある。
これまでの経験から、私の好きな街には共通点があって、それは「歩いているだけで幸せになれる」ということだ。例えばパリ。人生で最高の散歩を与えてくれる。例えばマンハッタン。多種多様な人種の中で「誰でもない自分」を感じることが出来る。例えば尾道。懐かしくて暖かく、時間の流れに身を任せて歩くことが出来る。あくまでもツーリストとしての自分が楽しいかどうかであって、住みたいかと言われたら多分答えはノーになるんだろう。京都もそうだ。
市バスは満員だった。後ろの席に座ってしまった場合は「降ります~!!」と絶叫しないと降りられない。それさえもコロナ前を思い出して懐かしかった。行政の財政は大変らしいが、やはり活気のある京都のほうがいい。
これから京都へ行くのに大学の授業がないのはきっと寂しく思うのだろうけれど、その分、これまで行かれなかった所を廻りたいと思っている。