寿命とは

ジャン=ポール・ベルモンド氏が亡くなった。

これですよこれ!ジーン・セバーグ最高


特別好きな俳優ではないけれど、「クルマは走って曲がって止まればいい」という名言を私は忘れない。これは映画『勝手にしやがれ』の中でのことだったが、私にとってこの作品は多感な10代の頃に様々な影響を受けた思い出深い1本。ってリアルタイムじゃないよ。フランス人のおじいちゃんの、いかにも一癖も二癖もありそうな佇まいが好き。日本のおじいちゃんたちは、油の抜けきった感じの人が多いよね。

私はまだ老人ではないけれど、人生初の大きな病気を経て、「寿命」というモノに初めて向き合った。

折しも治療中にリリースされた東京事変の作品に、こんな歌詞がある。

ええ 薬とは毒だね そりゃ万能な蜜なんて無いね
だって生きるうえで 死ぬことのみ 唯一決まり切った大前提

東京事変『闇なる白』

今回は幸運なことに余命宣告はされていない。計画された治療を計画通りにきっちりこなし、経過観察では「現時点では問題なし」という結果を得た。それでも、これで何もかもが元通りになるというわけじゃない。治療中は一日でも早く元の生活に戻りたいと切実に願っていたが、いざ治療が終わるとそこにあったのは「死を意識する生活」だった。

「死を意識する生活」とは、つまり「楽しい生活」だ。また林檎ネタを出すが、彼女が約20年前に「明日くたばるかもしれない」と歌い上げていた通りに、明日くたばるかもしれない。くたばるのがいつかなんて、自分を含め誰にもわからない。しかも、それは病気をしようがしまいが関係ない。どの人にも、私にも、あなたにも、平等に訪れる。それが寿命。

自分の寿命などこれまで真面目に考えたこともなかった。漠然と75歳くらいまで生きれればいいかなとか、その程度だ。しかし病気を経て、私の人生は案外短いかもしれないということを考えた時、「やばい、まだやりたくてもやってないことがある!」と焦り始めた。例えば、スポーツカーを運転するおばあちゃんになるという目標。自画像を完成させ大学を卒業するという目標。「幻想即興曲」を弾くという目標。もう一度訪れたい街への旅などなど。優先順位を否が応でも考えるようになった。

そうやってやりたいことを考え、どうしたら実行出来るかを考え、実際に一歩を踏み出すことは、とても楽しい。いつくたばってもいいように生きる、というのは中々難しいことではあるのだが、一度でも自分の人生の終わりを実感として感じると、毎日の濃さが変わってくる。無駄やストレスが減る。良い意味で開き直れる。私に関わってくれたすべての人、今この文章を読んで下さっているあなたに感謝出来る。

副作用や後遺症との縁はしばらく続きそうだし、体だけに限って言えばもう二度と以前の自分の体には戻れない。死にゆく私の細胞たち。毎日それを実感している。でも、それを辛いと思わないで済んでいるのは、「どうやったら楽しく過ごせるか」を常に考えているから。それでも、この考えに到達するまでに多少の時間を要した。整理した人間関係もあるし、復活した人間関係もある。

やりたいこと、やってみたことがある人は、今すぐそれをやって欲しい。乗りたいクルマがあるなら今すぐ乗って欲しい。誰かに何かを伝えたい人は今すぐ伝えて欲しい。やらない言い訳を探すのは簡単だけど、明日が今日と同じようにやって来るとは限らない。誰にとっても。

「いつやるの?今でしょ」という林先生のネタは真理だ。過去や不安な未来に支配されず、「今この時」にフォーカスすることはとても重要。

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