知らないおっちゃんも素敵に見える魔法

日頃から滅多に出会わないルノールーテシア。
(このサイト全般で言うルーテシアとは私の愛車でもあるルーテシア4を指します)

だから、時々見かけると妙に嬉しくなります。そして「もしや知り合いかも!?」と思ってドライバーさんを見てしまう。

昨日はブランの前期R.S.とすれ違ったのですが、運転席に座っていたのは知らないおっちゃんでした。知らないおっちゃんなんだけども・・・ルーテシア効果で5割増、赤いシートベルト効果で3割増、合計7割増イケオジに見えましたよ。

人は褒められると謙遜しがちです。私も面と向かって自身のことを褒めてくれたりする人がいると照れてしまって「そうですか?」なんてあしらってしまうのですけど、クルマだけは別!愛車ルーテシアを褒めていただけたら「そうでしょう!!」と詰め寄り、目をランランと輝かせて語り始めると思います。

それは自分のルーテシアばかりでなく、周囲のルーテシアもそうです。好き過ぎて、乗っている人まで魅力的に見えてしまう魔法のクルマだと思います。以前、勤め先の前社長(老人の域に踏み込んでいる)が私のルーテシアに乗ってみたのですが、しょぼくれたじいさんもルーテシアに乗るとあら不思議!なんかカッコいい、という実証データがありますから笑、これはルーテシア効果以外の何なんでしょう。

ですが、決して「モテたかったらルーテシアがお薦め!」なんて口が裂けても言いませんよ。モテたいのが理由でクルマを選ぶ人々の反対側のほうにいるのがルーテシアだと思っているので、ルーテシアに乗ると素敵に見えるのは結果論です。
それに、私自身の感覚も世の中にはあまり迎合しないことが多いので。

街なかでたまに目を引くクルマに出会います。フェラーリとかね。
可能な限りドライバーを見るのですけど、「あら素敵」と思ったことは一度もありません。渋滞している道でやたらとエンジンを回しているような類の人々に「素敵」と思える要素などあるはずもなく。フェラーリならフェラーリ愛がこちらまで溢れ出て来て欲しいんです。ポルシェでもメルセデスでも国産コンパクトカーでも何でもいいんですけど、ドライバーの醸し出す空気や所作からそのクルマへの「愛」が見えてないと。

その点、私の知るルーテシアな人々は皆、「(偏)愛」が見えます。

昨日から「世界の名車をめぐる旅」という大変楽しい本を読み始めたのですが、前書きで著者が若者の車離れについて「彼らの世代は産まれた時から当たり前に車がある上に、昨今の似たような車ばかりではもはや家電のような存在になっている。日常的に使う家電に興味を持つのは難しいだろう」ということを述べていらっしゃり、確かに、と思いました。(この本、1ページ読むごとにへぇそうだったのか、がたくさんあります。読み終わったら感想をアップしたいと思います)

 

「知らないおっちゃんも素敵に見える魔法」に2件のコメントがあります
  1. 高速で抜かしていく車で一番静かなのはフェラーリだと感じています。変な改造をしなければ今時のフェラーリは静かで風切音さえしないのです。それをオーナーの趣味で下品な爆音にしてしまうのが多いのですね。見た目にも下品にされているのが多いですね。コレに乗ってる俺を演出するのに必死なのだと思います。好きで乗っている人はクラシックなのをほぼ純正仕様で乗っていたりしますね。そういうフェラーリはカッコイイのでマジマジ見てしまいます。

    私の動作からもルーテシア愛が出ていますか?

    1. ご心配なく。ルーテシア愛はダダ漏れしていますよ!

      プロ以外で個性的な高級車を上質に乗りこなすドライバーってどこにいるんでしょうね。私たちとは違う世界に住んでいるとしか思えません。

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