クルマで巡らない群馬交響楽団クラシック・スペシャル

その日、私はひっそりと両毛線に乗車していた。本来なら上野東京ライン乗りっぱなしで小山まで行く予定が、宇都宮線で人身事故があり、東京で急遽「なすの」という新幹線に乗り換えた。両毛線はドアを手動で開けるスタイルらしい。この感じは久々だ。最後に経験したのはパリだった。ボタンを押してドアを開き乗り込んだまではいいが、閉めるのを忘れ、近くにいた子供が閉めてくれた。恥ずかしい。

この両毛線にトコトコ揺られて向かうは桐生だ。軽井沢の地にも降り立ったことがないので、初めての群馬。とにかく景色がのどかで変わり映えしない穏やかな感じ。思わずウトウトしてしまう。桐生に着くと駅前は閑散としており、人もほとんどいない。やはり首都圏に人口が集中しているのだなあ、と実感する。

私にとっては不要不急どころか、重要至急とも言えるコンサートがある。何しろ、10代の頃から「すべてのクラシック楽曲の中で不動の1位」を誇り続けているラフマニノフ作曲『ピアノ協奏曲第2番 ハ短調』が演奏されるのだ!!この作品ははっきり言ってザ・マスターピース。傑作以外の何物でもない。生で聴く機会は数年に1回ほどか。私がピアニストに関心を寄せる時、レパートリーにこの作品があるかどうかは最初のフィルターだ。

管弦楽は地元の群馬交響楽団。伝統ある老舗地方オケ。指揮者は藤岡幸夫さん。そしてソリストは角野隼斗。私が彼の存在を知ったのも、この曲であった。2年半前のコンクールでの演奏動画をたまたま発見して、衝撃を受けたあの日から私は彼を応援している。2年半前から確実にスケールアップしているはずなので、チケットも早くからおさえていた。

シルクホールという立派なホールがある。素晴らしい劇場や美術館のある地方都市は好きだ。文化に力を入れている街は好感度大。

検温、消毒、連絡先提出、もぎり無しなど、感染対策された会場にももう慣れた。これがスタンダードになるのだろうか。良い音楽を聴けることを考えたら、こんな手間くらい何でもない。

早めに席につくと、調律師さんがお仕事をしていた。

出番は2曲目なので、まだ隅っこに。

ピアノが入るコンサートの時は、座席を選べる場合は左側を選ぶようにしている。顔は見えないが鍵盤と指が見えるからだ。

1曲目と3曲目は同じくロシアのチャイコフスキーの作品。『オネーギン』はバレエでお馴染みで、『交響曲第5番』は耳馴染みのいい旋律を擁した聴きやすい交響曲。チャイコの交響曲は昨年11月にウィーンフィルでも聴いたので、ここのところ聴く機会が続いている。

そして、ピアノコンチェルト。

ピアニスト角野隼斗は、かねてからYoutubeに演奏動画を投稿したり(ひとつひとつの動画のクオリティが高いので、頻繁ではない)、他の演奏家とコラボしたり、ラジオで喋ったりしているが、それらの表に出てくる時間以外は何をしているかと言うと、当然ピアノに向かっているに決まっている。以前、「鍵盤、楽譜、天井と最近モノクロームの世界しか見ていない」と言っていた。そんな彼が成長していないわけないので、最初から期待は大きかった。

3日前にサントリーホールで日本フィルと『ラプソディー・イン・ブルー』を共演し、今まで聴いたことがないようなガーシュウィンに衝撃を受けたばかりだ。こちらはオンラインで鑑賞した。あれもピアノコンチェルトと言えなくもない。そして今日はラフマニノフ。生だ。ライブだ!

今日はタキシードで登場。なぜかこちらが緊張する。しかし、開始数秒でそれは緊張から震えに変化し、しまいには涙が早くも出てきた。少々長い無音の後、冒頭のいわゆる「鐘の音」のところから、彼の表現の変化がわかり、感無量に。オケの重苦しい低音の旋律が入ってくると、私は波にのまれた。しきりに指揮者とオケを意識しているのが見てとれ、ハーモニーという点では恐ろしく進化している。これがピアノコンチェルトってやつだ、と私はマスクの下で鼻水をすすっていた。

第2楽章に至っては甘美さよりも崇高ささえ感じる。弱い高音の美しさには磨きがかかっている。第3楽章もオケとぴったり合い、クライマックスでは呼吸も忘れ、ちょっと過呼吸気味になった。あっという間に終わってしまったが、途中で「終わって欲しくない」と切実に感じた演奏はずいぶん久しぶりだった。もともとテクニックは凄いのではあるが、2年半前の本人の演奏と比較すると、表現が段違いにブラッシュアップされている。それを目の当たりにするのはファン冥利に尽きる。

鳴り止まない拍手の中、アンコールは彼自身のアレンジである『7レベルのきらきら星変奏曲』をさらっと弾き、さらに大きな拍手の渦の中、3度のカーテンコールを終えた。

このピアノコンチェルトの神演奏として、私はロシアのリヒターを真っ先に挙げるが、彼は残念ながらもう亡くなっているのでリアルで聴くことは出来ない。次にこの角野隼斗だ。そもそも、最初に彼の演奏を聴いた時に、硬質な音色がリヒターに似ていると感じた。そこから沼にはまったのだった。

予想以上にスケールアップした演奏を魅せてくれた。これは、日々の鍛錬も勿論だが、彼が普段からクラシック以外の様々な音楽に深く接していることも無関係ではないだろう。世に出てくれてありがとう!と心底感謝した。

次は8月の京都でショパンのコンチェルトがある。もはや追っかけと化しているが、アイドルやバンド、アスリートのために遠征するファンたちの気持ちがわかる。ソロもよいが、自分の推しピアニストがオケと演奏する姿というのは、カタルシスを感じるものだということがよくわかった。

それと、現在海外からソリストを招聘するのが難しくなっているので、国内のオケは若手演奏家にコンチェルトを演奏する機会を与えてあげて欲しいと思う。ピアノに限らず。

今回のプログラムの解説も秀逸。ピアノコンチェルトの曲自体の解説よりも、この曲の背後にあるミステリーじみた論考が書いてあり、読み応えじゅうぶんだった。

帰りは小山から上野東京ラインで帰宅。ものすごく長かったしコンサートの余韻があまりにも強烈で疲労困憊。ライブは生ものだ。だからこその感動がある、ということを再認識した。これからも地味に応援していきたい。

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