クルマで巡らない『ワールド・クラスルーム展』

Zが車検から戻って来た。特に(幌以外は)問題はなかったとのこと。代車のNOTEからZに乗り換えると、重い硬い進まない!しかし、確かに地面を走っている、というこの実感は何にも代え難い。が、やはり警告音をどうにかしたい。メーターの上部にタオルを置くと多少は音量が小さくなる気がしないでもないが・・・多分気のせいだろう。

さて、この夏に訪れた展覧会のうち、もっとも印象深かったものについて書いておこうと思う。

森美術館で開催されていた『ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会』という長い名前の展覧会。文字通り現代アートの展覧会だが、現代アートと聞くと「わからない・・・」という先入観を持つ人々のために、学校の科目で振り分けてとっつきやすくしよう!という趣旨のようだ。しかし結論から言って、あまりこれは意味をなさなかったのでは、と思う。

私の考えでは、どんなアートもそもそも「わからない」のが前提だと常々思っているので、「わからないからなぁ」と思っている人は安心して欲しいと思う。現代アートも同じで、「この作品から受け取る感じは私はこうだけど、作者の意図は違うかもしれないなー」と思いながら見ているし、そこで初めて「作者の真意」を知りたいと思ったら解説なり情報なりを仕入れる。その結果「おお!」となる作品もあれば、最後まで「うーん」となる作品もある。

私の拙い卒業制作も、見てくれる人が「ああ、人が集まって何か見てるんだな」と思ってくれたらそれでいい。サッカーでもテニスでもトラック競技でもラグビーでも何でもいいのだ。作者としては「ここは静岡県にある富士スピードウェイというサーキットのメインスタンド席で、今まさに最終コーナーを抜けてホームストレートへ入ってくるマシンたちを眺めている色々な人々がおり、ボッティチェリの『東方三博士の礼拝』からインスパイアされた」という設定なのだが、そんな細かいこたあどうでもいい。説明くさい作品は出来るだけ描きたくないと思っている(これは現在の私のテーマにもなっているのだが、それはまた別の機会に)。

・・・話が逸れた。

今回のこの展覧会は、わりととっつきやすい作品ばかりだったが、立ち止まってしばらく動けなくなるような作品もあった。現代アートは社会の問題提議であったり、主義主張を表現するメッセージ性やコンセプトであったりする作品が多いので、アテられる可能性も高いのだ。いくつかご紹介。

ディン・Q・レ(ベトナム)『光と信念:ベトナム戦争の日々のスケッチ』

この作品群を見られたというだけで、この展覧会に足を運んだ甲斐があったというもの。ベトナム戦争下、地元の絵描きさんたちが描いたスケッチ群を壁にズラリと並べた作品。ディンはこの作品群を収集し、このようにキュレーションした。どれもドローイングやスケッチなので、サラリと描いた水彩画が多いが、私の目を引いたのは銃と共にある女性たちの姿だった。

美しい。悲しい。カッコいい。苦しい。感情がぐちゃぐちゃになりそうなくらいの強烈なインパクト。これらのスケッチに残酷なシーンは一切ないが、胸を抉られるようだった。最後の1枚は、特になかなか立ち去れなかった。この女性の凛としたクールさもさながら、その視線の先には何が、そしてその華奢な背中には何を背負っていたのかと思うと涙が出てくる。一方で、その佇まいからは誇りも垣間見れる。このスケッチ群には凄みがある。私は茫然とした・・・・同じスペースで上映されている映像も、35分もあるのに全部見てしまったくらい引き込まれた。

展覧会場で作品を見て茫然と衝撃を受ける、という体験はありそうで中々ない。まして様々な鑑賞体験を積み重ねていくと、ちょっとのことではそこまでに至らない。これまでに最も衝撃を受けたのは長野の無言館で、次点で東京藝大美術館での自画像展だった。このベトナム戦争のスケッチ群は、その次あたりに君臨しそうな予感がする。絵の持つ生々しさ(常に写真のほうが生々しいわけではないのだ)にアテられるとぶっ倒れそうになる。しかし、どこまでも美しいのがまた泣けてくる。銃を傍らに置き、つかの間の休息で手紙あるいは本に視線を落とす彼女のエレガントな佇まいったらない。世の中のどんな美人画にも勝る。

他には、一見何でもない静謐な風景写真であるのに、その場所の理由を知ると風景がまるで違って見えてくる、という体験をさせてくれる2人の作家作品が印象深い。

ヴァンディー・ラッタナ(カンボジア)『爆弾の池シリーズ』

ハラーイル・サルキシアン(シリア)『処刑広場シリーズ』

悲劇を伝えるのには、何も衝撃的な写真じゃなくとも良くて、かつて人間の狂気が存在した場所が今はこうして当たり前に日常の一部になっていることこそが恐ろしい。

けっこうヘヴィな思考を強いられるのだが、森村泰昌さんや奈良美智さんの作品が出てくるとホッとした。

大変有名な作品なので、ご存知の方も多いかな。森村泰昌『肖像(双子』『モデルヌ・オランピア2018』
手前はアイ・ウェイウェイの作品『コカ・コーラの壺』
『Miss. Moonlight』おなじみ奈良美智さんの作品。

色々なアーティストが世界にはいる。だから展覧会は面白い。そういう意味では確かに「ワールド・クラスルーム」ではあった。軽い気持ちで見に行ったが、相当に重厚な展覧会で、帰りの足取りは重かった。次回はいよいよ自分の展覧会について記すべきかも・・・

「クルマで巡らない『ワールド・クラスルーム展』」に4件のコメントがあります
  1. このレビューを読んで、見に行きたくなりました。もう終わってましたね。かなり、残念。ずいぶん前に、ベトナム戦争の記録映画を見たのですが、兵士(元々は農民や労働者)たちが、一列になって、川を渡っていました。みんな、銃が濡れないように、両手で頭の上にあげていました。一人だけ、銃のかわりに16ミリキャメラを上げていました。それを、思い出しました。

    1. とさまさん
      そうか、アマチュア兵士なのですね・・・・だから服装なんかも皆バラバラなんだ。
      すみません、もうちょっと早く記事を上げれば良かったです。なかなか見ごたえがありました。
      無言館の時も感じましたけど、雨風しのげる快適な室内で着飾ってポーズを取るモデルを描くことが空しく思えてきます。
      時々はこういった尖った刺激が必要だなあと思いました。

      1. いえいえ、行こうかな、と迷ってましたけど、まあいいか、と選ばなかった自分がダメでした。
        北ベトナム側は、北ベトナム民族解放戦線、いわゆるゲリラ部隊でした、でも、記録しようとキャメラ担いでいたのに、驚きました。
        絵も描いていたなんて、感動です。
        戦没画学生の一人、金子孝信は、新潟市立潟東樋口記念美術館にほぼ全作(東京美術学校卒業作品以外)が展示されています。ぜひ、一度ご覧になってください。

        1. とさまさん
          複数の地元の画家さんたちが記録のために描いていたようですが、ドキュメンタリー映像では当時を知る人の証言なんかもあり、
          (目を撃たれたが描き続けたとか壮絶なエピソードも)生々しくも毅然とした彼らの佇まいは感動します。あと、ホーチミンがピカソと友達だったらしく、
          ゆえに芸術家を大事にしたのだとか。
          戦没画学生の作品はこれからも見ていきたいと思います。いつかノイズムを新潟で見たいのでセットかな。

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