BLOG Passion for lifeとは

 

たまに年配の方が個性的なクルマを走らせているのを見ると、幸せな気持ちになります。
少なくともその方には情熱を傾けられる対象がある、ってことですから。これ大事!私ももうこんな年齢になり、「いかに情熱を持ち続けることが出来るか」ということに関心があります。

Passion for life

対象は何でもいいんですよね。確かに若い頃から色々なことに興味があったり、挑戦してきたりはしましたけど、自分が本当に好きなもの、時間を忘れるようなことっていうのは、ある程度人生経験を積まないと見えてこないのかもしれません。自分の中での一時の流行もありますし、何十年モノのスタンダードもあります。でも、「何もやることがなくて困る」という状況になったことは一度もありません。

生涯現役で働くことは素敵だなあと思います。
ですが、今も多くの人が「定年」という節目を迎え、仕事以外の時間がぐっと増える時期が自動的にやってきます。

その時になって、「何をしたらいいのかわからない」という男性が多いという記事を読みました。朝の図書館に並び、開館と同時に新聞コーナー(まず読むのは日経の株価面)、昼間のカフェやショッピングモールやジムなどにそういった人の姿が目立つそうです。私の周囲にはそのような人がいないので、ちょっと驚きです。みんなそんなにやることがないの!?

14年前に他界した父は、横須賀基地で米軍相手にバンド活動をしていた若い頃を経て、劇団の看板役者になり、母と結婚して私が生まれて「役者じゃ食っていけねえ!」と嫌々サラリーマンになったため、定年を心待ちにしていました。定年してからはバンド活動を再開。多趣味な父でしたが、結局は音楽に回帰したようです。

勤め先のおじさんたちも、余暇にはシニアサッカーチームでプレーしていたり、楽器を弾いていたり、サーフィンしたり、海釣りにすべてを捧げていたり、色々な楽しみを持った人ばかりです。友人には重要文化財巡りを生きがいとしている人もいます。クルマ関係でも、サーキットやイベントに行けば、楽しんでいる年配の方が多数いらっしゃいます。高速道路でも、ハーレーに乗ったおじいさんの大群に出会ったりしますよね。大学の授業でも、年配の方ほど熱心に楽しそうに取り組まれています。「今、夢中になれること」があるのが当然で、ないほうが変だと思っていましたが、あるほうが珍しいんですかねぇ。わかりません。

大学の先生が「通学部の若い学生より、通信の学生さんのほうがやっぱり熱心です」とおっしゃっていました。理由は「若い頃に、やりたくてもやれなかったことに、今挑戦しているから」。
私もその一人ですが、だから楽しくて仕方ありません。それに正直、時間のある同級生が羨ましくもあります。だって平日図書館で文献を調べられたり、ゆったりとした気持ちで作品を描く時間もあるわけです。でもその時間はきっと、その人たちがそれまで色々なものを犠牲にして働いてきたからこその時間。私はまだまだ食い扶持を稼がねばなりません。でも、今のサラリーマン生活をこの先もずっと続けるかと問われれば、答えはノーです。

「何かしたいけど、何をしていいのかわからない」「これといって趣味がない」という相談をたまに受けたりしますが、とりあえず、興味のあることに片っ端から挑戦してみたら?くらいしか言えません。いつももどかしいんですよね、こんな答えしか言えないのか、と。もうちょっと効果的なアドバイスが出来るといいのですが、本人次第なこともあって難しいですね。きっかけはそこらじゅうに転がっているはずなのですが。別にインドに行かなくても「自分探し」は出来ると思うのです。っていうか「自分探し」って何だろうね。

私はやりたいことが多過ぎて困るくらいですが、一方でどれも極められず中途半端になるというデメリットもあります。なので、自分で「ここまで出来たら満足」という目標をあらかじめ設定しています。ピアノだったら、まぁ「幻想即興曲」が弾けることが満足ライン。日本画だったら自分で描いた絵を掛軸作品に作り上げられれば満足。クルマだったら、カッコいいクルマを運転するおばあちゃんになれたら満足、などなど。そのためには健康でいなきゃ、とか、少しでもピアノ練習しなきゃ、とか、学校の課題を丁寧にちゃんとやらなくちゃ、とか段階があり、その中でまた新たに興味を持つこともあったりして。

昔はサガンを原書で読むとか、世界の各大陸にそれぞれ恋人を作るとか、壮大な?プロジェクトもありましたが。

そして時々、「何もしたくない」という空白の時間が必要になります。やりたいこと、やるべきことのバランスが崩れた時がそうです。「あー、もういいや何でも」なんて投げやりモードに入り、お風呂に入ってベッドに入って、積まれた本を横目にスマホいじりながらゴロゴロ~、ってな時もあります。いつも100パーセントは無理よ無理。でも、ずっと0パーセントも無理です。

「これをやっている時が幸せ」という瞬間を、多くの人が持てれば世の中もっと明るくなるような気もします。今これをお読みくださっている皆さんは、そんな瞬間をいくつもお持ちだと思うので大丈夫でしょう!

 

私が学んでいる学校も、一般の方に公開講座をやっています。正直受講費はお安いとは言えないのですが、内容は充実していると聞きました。多岐にわたる講座が用意されていますので、「とりあえずやることないかなー」と探している方は、こういった興味を持てる講座を受けたりするのもいいと思います。

芸術学舎

 

 

 

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BLOG Passion for lifeとは” への2件のフィードバック

  1. DRIVER "A" のコメント:

    極端ですよね。マニアやオタク文化が進化している一方で、何もない人は本当に何もない、って感じで。
    私たちは探さなくても「好きなこと」があるわけですから、好きなことを探すという行為自体にあまりピンときませんね。

    「自分が何者なのか」は究極の哲学のテーマとも言えます。
    外国に行って見つかるのは、自分のアイデンティティを嫌でも意識しなければならないことでしょうか。
    アメリカのように多様な人種の混合で成り立っている場所では、自分もその中の一人だということを意識しますが、
    イギリスなんかでは逆に他のアジア圏の人と間違われたりもしたし、ちょっとした差別なんかも経験しました。
    だから、嫌でも「日本人である自分」を意識しますが、「だからどうした」という結論になるので、
    旅先で「自分」は見つからないと思います。ブッダのように突然悟りを得るなんて出来ないですしね笑。

    哲学書を読んでも「好きなこと」「情熱を持てること」は書いてないと思うのですが、自分探しをしたい人には
    まず読書を薦めたいと思います。

  2. hiro lutecoco のコメント:

    10代20代の若い子に趣味は何かと尋ねると「特にない」とか「買い物」とか。趣味を持ってる私の方がマイノリティなの?と思ってしまうほどだったりします。でも一方では最近20代で物凄いレベルの高いマニアな同僚が居たりして、私は全く及ばないなと思ったり。

    「自分探し。」。「自分は何者なのか」を知りたいんですよね。でもそれは旅に出ても知ることはできないと思っています。自分の先祖を辿ったり、自分の人種は何なのか、自分の人種はどう発展してきたのか、自分の住む国や地域はどんな文化なのか、自分の社会的立場とは・・・。書物で調べるなり考えを巡らせるなり、それで「自分は何者なのか」分かると思っています。それは日常を過ごしながらでも出来ることで長期にわたって旅に出る必要なんて全くありません。全く知らない世界に飛び込んでみて見えてくる自分というのもあるのかもしれませんけれど。でもそれで気付く「自分って意外とこういうの得意なんだ」とか「困難な状況におかれて見える本当の自分」とかいうのは身近なところでも得られるわけで。日本人だったらインドより日本中の神社仏閣でも巡っていたほうがよほど「自分探し」が成功すると思います。日本や日本人のルーツがそこにありますから。

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