BLOG 情報の処理のしかたって?

9月。つまり今年もあと3ヶ月。あと少ししたら、きっとこの猛暑が嘘みたいに思える寒さがやって来るのでしょうか。また、街の風景の変わり身の早さにうんざりする季節が始まります。ディスプレイも音楽も。

さて、皆さんは「情報」をどのようにご自身で処理されてますか?
ここで言う情報とは、SNSを中心とする「目の前を流れていく情報」です。自分にとって必要な情報だけを取り、不要な情報を入れない、ということがどんなに難しいことか。電波や流れる情報がもし目に見えたら怖い。黒澤明監督の作品にそのような描写があった記憶が。

例えば私は美術館情報や現在自分が興味のある事柄についてフォローしていますが、それだけでもはっきり言ってものすごい量が流れてくるわけです。私が主に利用しているSNSはTwitter(発信無し)だけですが、それでもすごい量。インスタやFacebookは以前「もう追いつけない」と思って潔くやめました。仲良しの人々とはLINEで連絡取れるし(トークしか使ってない)、クルマ関係なら「みんカラ」でお友達の投稿だけが流れてくるので快適この上ないのですが、「自分の興味があること以外に興味がない」タイプの人間には辛い世の中になったもんだ、とか思ってしまいます。と同時に、欲しい情報がすぐ手に入るのはいい時代になったもんだ、とも思います。要は使い分けというか、上手に付き合っていくのがベストだと思うのですが、なかなか難しい。

私はラジオやテレビも苦手で、自分にとってどうでもいい情報を押し付けられたくない、というのが一番の理由なのですが(ゆえに気になる番組までも逃す)、まだ「見ない、聞かない」という選択が自分で出来る。でも、ネットから流れてくる情報はあまりの便利さゆえに目を通してしまいがち。そのほとんどが右から左へ流れて行くだけのものが多く、自分が欲しい情報は多分2割いかない。そろそろデジタルデトックスが必要なのか?

それから、もっとも要らん情報はどこの誰だかもわからない人、つまり私の現在の人生にはまったくもって他人、という人々の至極どうでもいい呟き。お願いだから自分で自分に向かって呟いて欲しい。それを世界に発信する必要があるのか、どうかご一考願いたい、と思う。ということで、多分そのうちTwitterからも撤退する予感がします。そしてますます外部との関わりがなくなりそう・・・

 

「BLOG 情報の処理のしかたって?」に2件のコメントがあります
  1. 近頃はスマホとパソコン弄りながらテレビかラジオがついてる状態で一見情報過多です。でもその時集中しているものしか頭に入ってこないので、実はあまり情報は入ってきていません。興味をひかれる方に集中します。どれも頭に入ってきたら便利なのですが聖徳太子のようにはいきません。女性は同時進行が得意だと聞いたことがあります。だから疲れてしまうのでしょうか。

    ラジオは好きで車内ではラジオ率が高いです。知らない情報が入ってきて新しい関心を抱くことがあります。知らなかった新人歌手を知ってハマったり。テレビと違って歌がフルで流れるのが良いです。ラジオも、考え事をしている時は鼓膜を揺らしてはきますが頭に入ってる気はしませんから、聴いているのに聴き逃しているも同然なことが多いです。

    インスタ、ツイッターは車関係でいうとみんカラユーザーでない変態さんが多くいらっしゃることに利用価値があると思っています。あと自転車関係は他のSNSでどこに集まっているのか分からないので。

    1. ちゃんとフィルターが機能されているのですね。健全なことです。
      ラジオはもっぱらおしゃべり無し専門で聞いてます。おしゃべり有りは朝の目覚ましがわりのJ Waveくらいですかね。
      日曜朝のパーソナリティである女性の声が生理的にどうしてもダメなのですが笑、そのおかげで起きられたりします。
      不思議なもので私は常に音楽がないと物事に集中出来ないタイプなのですが、人の話す声は苦手なのです。

      情報過多に弱いんでしょうね。本屋さんでも気持ち悪くなることがあります・・・

      SNSなんかも上手に使われている方には情報源として便利なのでしょうが最近は美容院で雑誌を読むと「ちゃんと終わる」ことにホッとしたりして。
      ページをめくれば終わるじゃないですか。この安心感ってすごいな、とか妙なことに感動したり。

      先日、好きな音楽評論家の方が「線路に飛び込むくらいなら、まずスマホを線路に投げ入れるべし」と説いてらっしゃいましたが、何となくわかるなぁ、と思ってしまいました。

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