BLOG 金がない

いきなり身も蓋もないタイトルだけれど・・・今の私には金がない。いや、金がある時もないのだが(笑)、パリ旅関連で散財、大学の今年度の学費に加えて度重なるスクーリング費用、京都の学校までの交通費やら宿泊費、おまけに明日からの京都の授業の後で台湾へ高飛び、と金に羽が生えた如く飛んで行く。授業が増えたせいで、蔵書も増えて行く。

しかし。
この充実感は一体何だろう。ランチがコンビニの安いほうのおにぎり1個でも、まったく不幸を感じない。むしろ食べなくてもいい。金がないとは、一体何の金がないのか。無駄遣いする金がないだけなのではないか。そして、無駄遣いする時というのは、何かこう、自分自身があまり満たされていない時が多いので、満たされている時は金を遣おうとも思わないようだ。

さらに、遣った金に後悔はないどころか、今こうして充実感を感じているということは、私にとって正しい遣い方をした、という証だろう。だから、「金はない、だが幸せ」という状態を噛みしめている。

先日の哲学の授業で、「幸せとは何か」というお題でディスカッションがあった。

人が幸せを感じる要素として大きなものが3つあり、それは「自己保存」「自己実現」「他者との関係」だそうで。自分が「幸福」と聞いて思い浮かべるキーワードを20個以上挙げ、その中から特に重要なものを3つ選ぶ。私は「自由、移動、色彩」を挙げた。これはすべて「自己実現」に属するワードであった。例えば「食事」「睡眠」「お金」などは「自己保存」であり、家族や友人が何より大切な人は「他者との関係」が幸せに深く関わっている、らしい。

私はどうやら、食事とかお金とかでは幸せを感じない(ことは薄々自分でもわかっていた)人間なのだ。だから、「金がない」とか言いながらもヘラヘラと幸せを感じているのだろう。

授業で登場したシモーヌ・ヴェイユというフランス生まれのユダヤ人の哲学者。彼女は底辺の人々と一緒に工場労働に従事して、彼らにとっての幸せとは何かを追求した人だ。その従事した自動車工場はルノーであったらしい・・・授業の中で唐突にルノーという単語が出て来てびっくりした。

先月、世界一好きな教会であるサンテティエンヌ・デュ・モン教会が開くのを待っていた時、隣の学校があまりに素敵なので、たまたま写真に撮った。ちょうど登校時間で、パリのティーンたちが続々と学校に吸い込まれて行くのを眺めていた。

アンリ四世高校、と玄関に彫られている

授業で知ったのだが、彼女はここの卒業生で、師の哲学者であるアランも引退までここで教鞭をとっていたという。今回の授業で一番感銘を受けたのがアランだったので、この素晴らしき偶然に胸が躍った。ちなみにここはパリの名門高校なのだとか。

こんな風に自分の気づきが次へ繋がる瞬間というのは、偶然ともいえるけど、偶然だからこそ、そこに意味があるのではないかと考えてしまう。

私の悪い点は、自分の幸せは自己実現によってしか実感出来ないゆえに、他人の幸せには無関心なことだな。不幸にも無関心だけど。