多くの人が若い頃に済ませたことを、この年齢になって経験している。
例えばクルマ活動がそうだ。若い頃は無関心とまではいかないまでも、「自分とクルマ」の関係性を深く考えたことはなかった。それからピアノ。中学時代に辞めてから再び20年後に再開するとは思わなかった。まあ、これらは一生続けれられる趣味でもあり、結果を出すのは自分自身に対してであって(別に結果を出さなくてもいい)あまりプレッシャーもない。
しかし学習は違う。何しろ単位を取得しなければ卒業出来ない=終わらない。
私が在籍している大学は、絵や写真などの美術系はリタイア組が多く、建築などのデザイン系は現役社会人が多い傾向にある。そして、多くの学生がとても熱心だ。特にデッサンなどの実技系のスクーリングはものすごい集中力で教室がピリピリしている。講義系の講座でも質問が連発する。「若い頃に諦めたことに挑戦している」とか「好きなことをもっと突き詰めていきたい」とか、学生のモチベーションは常に高い。なので講師陣も熱心に指導してくれる。私が仲良くしている同期のおじさんは、「やっと絵を描く時間が作れたけれど、死ぬまでにあと何枚描けるかなァ」と、結構切実である。
私は「絵が描けない」のがコンプレックスだったのと、江戸絵画が好きだったので日本画コースに所属しているが、日々の勉強はそれに限ったものばかりではない。もちろん、全世界の芸術史や哲学、日本の伝統芸能や色彩学、言語学、文化論など高い興味を持って取り組める学科も多いが、単位の数合わせ上どうしても取得しなければならないものもある。
問題は、自分自身で孤独に勉強しなければならないことだ。孤独なのはいい。ただ、すべてを自分で管理しなければならないため、「ずっと学生時代の試験勉強状態」が続いている。そして、絶対に履修計画通りにはいかない。そこは若い学生と違って、大人になると色々と片付けねばならないことが増えているからだ。自分自身の体調もある。イレギュラーな出来事も起こる。元々お尻に火がつかないとやらない性格なので、締め切り5日前になってやっとレポートを書き始めることもある。
今年度もやはり計画通りにはいかなかった。この時期になると先が見え始める。
複数のことを同時にこなすのが出来ない人間ゆえ、レポートを書きつつ絵も制作する、というのが苦手だ。レポートの時はそれだけのことを考えていたいし、絵の制作の時もそれだけのことを考えていたい。今はレポート期で、書く勉強が一段落したら今度は描くほうに集中しなければならない。
レポートの課題は、指定されたテキストを読み、課題に沿った論考を期限までにWEB上で提出し(平均3200文字くらい)、合格すればその後試験を受けてC判定以上なら単位取得になる。テキストによっては参考文献が必要な場合もあるし、テキスト自体が難解過ぎて、新書などの入門書が必要なこともある。それによって何がもっとも必要かと言えば、本を読む時間だ。こればかりは省略出来ない。
自分の興味のあることは、書物を読めばある程度は理解出来るし知識を蓄積することも出来る。私は10代の頃から芸術作品を見たり聴いたりすることが大好きであったし、それに関係する書物も結構読んできたと思っていた。が、大学で勉強するようになってから新たな発見に満ち満ちている。ゆえに、レポートで選ぶ課題は「以前の私なら絶対に読まない分野」だったり「あえて今まで興味のなかったテーマ」を意識的に選ぶようにしている。
卒業時に、学校で培った新たな知識の積み重ねと、「絵が描ける」という自分への肯定を感じることが出来れば、この数年は意味があったと初めて言えるのだろう。知識と経験を積むことは、自分の生きる世界を広げることだと今になって実感する。そしてそれは間違いなく、幸福なことだ。
ちなみに、じっくり取り組みたくて後回しにしている科目もある。
美学は「なぜ私は私のクルマを美しいと思うのか?美しいとはいったい何か?」という問いの答えを探求する学問であるが、芸術の哲学とも言われるだけあり、かなり手強い。テキスト一冊に対し、参考文献は恐らく無制限に必要そうだ。それでも、自分の長年の疑問に、何かしらの答えを見つけられそうな予感がして勉強するのが楽しみな科目である。
自画像は、自分が描く自分の姿に非常に興味があるからに他ならない。絵画の分野で何が一番好きかと聞かれたら、画家の描く画家自身の自画像と言ってもいい。写真ならばセルフ・ポートレイトだ。残念なのは伝統的な日本画で自画像作品というのをあまり見たことがないので、どうしても洋画に偏ってしまうのだが。
同期のおじさんは、地元の山並みの壮大な風景を卒業制作として描いている。私は来年以降になるが、古い日本の絵(絵巻など)の模写をしようと考えている。いつになるのだろう・・・