盛ればいいってわけじゃない

と言っても、もちろんクルマのことです。

街にはおっかない顔のクルマが溢れていますね。たまに行き過ぎていて笑っちゃうクルマもあります。どっかの巨大な石像とか思い浮かべちゃったりして。

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私はルーテシアを初めて見た時、顔ではなく真横にまず惚れました。なぜなら広告の写真がそうだったからです。実車を見たらお尻にも惚れました。顔はどちらかと言うとおっとりしていますが、トゥインゴでは可愛すぎメガーヌではいかつ過ぎだと感じる私の印象からすれば、「ちょうどいい感じ」。それゆえ後期には顔の印象がだいぶ変わってしまったことが残念でした。特に丸いフォグが失われてしまったのが大きく作用していると感じます。ルーテシアでも兄貴分であるGTやRSになると表情の精悍さが増してくるのですが、逆にお尻とのアンバランスさがいいんです。カッコいいのにグラマラス。

とにかくルーテシアは360度どこから見ても魅力的で、「美人は見る角度によって顔の印象が違う」という説を実証していると思います。(お決まりの自画自賛)。

とは言え、私のクルマは赤いのですが、本国の首都パリにおいては、その街並みを考えると寒色系のクルマのほうがフィットするような気もします。グリーン、水色や紺、グレー、マットな白など。暖色だと黄色一択。いかにも欧州車だし、黄味を含んだ建築物が多いせいか馴染みます。赤は、例えばポンピドゥーセンターの外観に効果的に使われていますが、あくまで差し色としてならとても似あうと思うのです。むしろ赤はカオスなニッポンの街並みの中のほうがフィットするのかもしれません。なので、もし自分がパリに住んでいたとしたら赤いクルマは選んでないかもしれないです。紺か黄色のクルマを選ぶかも。「街の景観を考える」ということを意識させられるんですよねヨーロッパの街って。

さてここジャポン。私は以前から食パンみたいなクルマに嫌悪感を感じるのですが、さらにそれがゴテゴテのキラキラで主張していると目を背けたくなることは否定しません。売れれば何でもいいのか?いいんでしょうね。でも、売れるのと、人々がカッコイイと感じるのは別なような気もします。

昨年の東京モーターショーに出展されていたマツダの魚っぽい造形のクルマは、アウトラインだけでじゅうぶん「語る」カッコいい車体をしておりましたし。食パン系のやたらゴテゴテとした顔は説明的なんですよ。ボンネットの張り出しがほぼない分、やたらと車間を詰めてくるし、余計に圧迫感があって暑苦しい。それがTHEコンセプトだと言われてしまえばそれまでですが。ああいったクルマが前後にいる時にイライラしないためには、「これらのクルマはルーテシアの引き立て役」と思い込むといいです笑。アメリカ時代の友達Heatherを思い出しました。彼女は日本で言うところの生徒会長をやっており、頭脳明晰な上に北欧系の色白金髪美人でしたが、彼氏がごっつい黒人だったために、街で会うといつもアメフトやってるコワモテのガタイのいい黒人男子に囲まれていました。そのコントラストたるや今でも鮮明に覚えています。

「無駄をそぎ落とす」ことは見た目にとって非常に大事だと思うんです。盛ればいいい、ってわけじゃない。隠せばいいってわけでもない。一番魅力的だと感じる箇所をほんの少し強調するだけで良いのだと。