やっぱりパリが好きでした

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・・・この、何でもない小さな空き地。広場でもなく、ロータリーと言うには小さい。中庭?何とも形容し難いスペースなのだが・・・

8年前、初めてパリを訪れた時に迷い込んで、たまたまここに出た。その時に、なんてパリらしい一角なのだろう、と感激した。しかし、名もない場所ゆえに記憶が薄れていたのだ。

今回、中世美術館からドラクロワ美術館までぶらぶら歩いて来ると、そこにはどこかで見た風景が…
8年前のあそこだ!!それに気づいた私は泣きそうになった。そして記憶が蘇ってきた。あの時も確かドラクロワ美術館を探していたのだった。だが行った記憶はない。だからこそ今回来たのだ。きっと閉まっていたか、見つけられなかったのかもしれない。

今回はハイテク機器のおかげで迷わず来られたのだが、この空き地の場所は失念しており、嬉しい再会となった。

左岸と呼ばれる、セーヌ川の南のエリアが私は好きだ。ひとり旅なら間違いなく左岸に滞在するが、今回は初パリの同行者が2名いたため、わかりやすくアクセスの良い右岸のリヴォリ通り、パリ市庁舎前に宿を取り、基点とした。

オテル・ド・ヴィルと呼ばれる市庁舎

リヴォリ通りは西へ行くとルーヴル美術館の前を通り、コンコルド広場を経てシャンゼリゼへと続く。東に行くとすぐバスティーユだ。
銀座の中央通り的な趣だが、私たちのホテルは限りなく新橋に近い感じだ(新橋と言えば、立ち食い蕎麦屋ポン・ヌフ。ここパリにある一番古い、しかし当時は一番新しかった橋の名前だ。そして映画「ポンヌフの恋人」は私の人生ベストテンシネマには入るだろう)。

しかし、ホテルの裏に広がるマレ地区は、パリの流行りが生まれると言われる洒落たエリアで、美しい門構えのユニクロまであった。ユニクロの看板を見ただけでこちらは興ざめなのだけど。

さらにアルコル橋を渡ればすぐにシテ島に渡れ、ノートル・ダム大聖堂があり、

お一人様の観光客と撮り合いっこ。てっぺんが欠けてるけど・・・

そこから左岸エリアまで気軽に徒歩で足を延ばせる。我ながら良い選択をした。歩かずともホテルから徒歩1分のメトロの駅まで行けば、自在にパリ市内を動ける。

 

ホテルは伝統的なパリの建物で、定員ギリギリ3名のエレベーターが可愛い。日本の1階はこちらでは0階になる。地下1階は−1階だ。

到着した翌朝、早速カフェで一服しようと4階から乗り込むと、すでに東欧系の老夫婦が乗っていた。

「あら、私乗れるかしら? 」
「 大丈夫よ、さぁ乗って!あなたはいつ到着したの?」
「 昨夜到着したばかりです」
「 パリは本当に美しいわ、あなたも楽しんで」
「 ありがとう、良い一日を!」

こんな会話が楽しくてたまらない。レセプションの男の子に挨拶してホテルを出、少し先の早朝から営業しているカフェへ。

-Bonjour Monsieur!
-Bonjour Madame!

これで私のパリの一日が始まる。

早朝のセーヌ川散歩。とても静かな時間

到着翌日は美術館巡りの間にスーパーなどに寄り、ヘアシャンプーや水などの日用品を買う。2日目以降はお土産なども探しつつ。途中でホテルに戻り荷物を置いてまたすぐ歩く。そして美術館。疲れたら目の前に最初に現れたカフェに入る。その繰り返しだ。特別なことは何もしていない。パリ自体が私には特別だから。

そして、中心部なら意外と歩けてしまう街だ。
例えば右岸のホテルから左岸のサンテティエンヌ・デュ・モン教会まで歩けるイメージは無かったのだが結局歩けてしまったし、北側のピガールでメトロを降りていくつかの美術館を巡って南下するうちに、気が付くとホテルまで歩いて戻ってしまった。

そして、ある地点から目的地へ歩く途中で「あら、こんなとこに出たわ」というシチュエーションが何度もあり、それが歩く醍醐味をさらに深めてくれる。不思議な街だ。

そして、ルーヴルのような巨大な美術館内でも、知らず知らずのうちにかなり歩いている。

このベンチを見るとパリに来たという実感が。アンヴァリッド付近にて

 

フランス好きは日本に多い。その入り口は様々だけれども、私は至って普通だ。
まずアニメ「巴里のイザベル」から始めなければならない。幼少のあまりアニメの内容は今もってまったく覚えていないが、オープニングのショパン「幻想即興曲」が大好きで、今でも私があの曲を弾くためにピアノを細々と続けている理由でもある。

ベルばらではない。あれはあれで好きだけどね。フランス革命とは何ぞや、を端的に学ぶにはもっていこいだし、今回もオデオンのカフェで朝食中にふと視線を上げたらダントンの銅像がでーんと建っていたので、ダントン=革命=ベルばらを思い出した次第・・・

さらに14歳の私に多大な影響を与えたフラソワーズ・サガン。「悲しみよ こんにちは」に感銘を受け、それ以降サガンの作品を読み漁った。オペラ色の背表紙の文庫本だ。10代も後半になると、私のお気に入りはマルグリット・デュラスへ移った。当時図書館で司書バイトをしていたこともあり、古いデュラスの訳本を貪るように読んだ。大人になると、よりデュラスの書く物語に共感するようになり、ついに原語で読みたいとまで思うようになった(未だその野望は達成出来ていない)。

そんなデュラスは左岸のブノワ通りに住み、彼女の葬儀はサン=ジェルマン=デ=プレ教会で執り行われた。

大好きなサン=ジェルマン=デ=プレ界隈、ランドマークはもちろんこの教会

そして私の青春に影響を与えた数々の映画たち・・・
パリから帰国して、すでに3本のパリ映画を再生した。どれも私のコレクションなのでいつでも見られるのだが、とても見たくなって。人生観、特に私の恋愛観の9割は若い時分に見たフランス映画から生成されていると言っていい。あとの1割は小説からだ。しかし、かつて一度でもそんな恋愛をしただろうか?笑

現在の愛車ルーテシアはフランス車だ。惚れたクルマがたまたまルノーのクルマであっただけなのだが、それも結果的には正しい選択だった。

今回は訪れることが出来なかった好きな場所も、まだ訪れてない場所も山ほどある。もうすでにまたパリに行きたくなっている。パリと日本を年に3度くらい往復するにはどうしたらいいか、真剣に考えている・・・

これまで色々な国や都市を巡ってきたが、やっぱりパリが好きだ。北京やNYやフィレンツェもそれぞれ良いのだけれども・・・パリには勝てない。今回、1日だけブリュッセルに行き、戻って来てパリの街の騒がしさと汚さに安心した自分がいる。傷だらけで汚れたままのルーテシア(クリオ)があちこちで走っている様子にほっとする。様々な人種が入り混じって麗しい建物の間を歩いていく様は壮観で、人間て構造物以上に美しいなと感動したりする。

朝の裏通り

パリの他に行ってみたい街は?と聞かれたら、多分マラケシュ、ギリシャの島々、イスタンブールくらいしか残っていない。疲れた時はまたNYあたりがいいのかも。人のエネルギーに癒されたい時などは、大都会がいい。

 

今回巡った美術館その他の覚書は、また後日ゆっくり書くことにする。

馬車が通り抜けた大きな門構えがまだまだ数多く残っている