喫・煙・車・両

喫煙歴も早20年を超えた。

煙草に手を出したキッカケは、当時付き合っていたZ乗りの男の子が美味しそうに赤マールボロを吸っていたのを見て。それでも遠慮気味に私は白マールボロにしたのだが、私が喫煙者に変貌すると彼は怒った。「女が煙草を吸うなんて」である。本性見たり。そのことで大ゲンカをし、結果的には別れることにはなった。次は外国人だったため、よく一緒にどこででもプカプカと吸っていた。今ほど規制が厳しくなかった時代だ。飛行機でもカーテンで仕切られた喫煙席があった時代だった。

フランス映画に影響を受けていた若い私は、女が煙草を吸う姿に憧れたものだ。

あれから20年、世の中は喫煙にヒステリックに反応するようになった。煙草の価格も上がったし、煙草が吸える場所を探すのでさえ大変になってきた。
もちろん、健康に害があるとか、受動喫煙の問題などもあり、私もいつかは禁煙しないとなー、なんて軽く思うこともあったのだが、

パリに行ってその考えは一切合切捨てた。私はこれからも喫煙者でいる、と腹を括った。

酒を飲まない私には唯一の嗜好品だ。それならば電子タバコがあろう、と人々は思うかもしれない。私も時代の流れに乗ってそれらの代替品に手を出したこともあるが、長続きしなかった。吸った気になれないとか、味がない、とか、そういったことではない。カッコ悪いからだ。どこの製品とは言わないが、まるで紙パックのジュースをちゅうちゅう飲んでいるような姿態で吸うような商品もある。私としては、煙草はやはり人差し指と中指の間に挟んで吸いたいのだ。吸っていない時にその指の間から立ち上る紫煙含めてスタイルなのだと信じている。

どんな時の「一服」が一番美味しいかと言えば、移動している際の一服がわりと至福。とは言え、運転している時は吸わないし、飛行機や電車は禁煙だから不可能。しかし、まだ最後の聖地が残っている。新幹線「こだま」だ。

誰にも邪魔されず、車窓からの風景をぼんやり眺めながら、好きな音楽を聴き、煙草を堂々と吸う。のぞみの喫煙ルームの暑苦しさはあくまで緊急用だ。発車してすぐは列をなすので、そのタイミングを伺うのも面倒である。それに比べて自席で吸えることの幸せよ。

しかし・・・この素晴らしいシステムも来春で終了らしい。
私の好きな物がどんどん世の中から消えて行く。

酒と煙草はよくセットにして語られるが、実際はまったく違う。
どちらも危険であり、どちらも中毒性があることは似ているけれど。朝ごはんの時からビールを飲む友達がいるが、彼女と一緒だと気が楽だ。向こうはグビグビ、私はプカプカ。ストレスがないから楽しい。だが、新幹線の席でビールは飲めるが、煙草は吸えない。煙草OKの店でも隣に子供がいたりすると吸わないし、自宅でも換気扇の下で窓を開けて吸ったりしている。何かと不自由はあるが、だからこそ「吸える場所での一服」は何にもまして代え難い。

喫煙車両がなくなるまでは、堪能したい。