物好きな従兄弟が、母方の実家の家系を遡ってみたらしい。
母は浅草生まれである。亡き父は鎌倉の出自だ。
一番古い記録は1802年で、そこから母の実家のファミリーツリーが始まっている。
母の実家の本籍地は遡ると「新吉原江戸町一丁目」である。江戸町一丁目と言えば大店が軒を連ねる吉原のメインストリートではないか。
何でも、ご先祖は篭屋を営んでいたらしい。吉原の篭屋?もしや私のご先祖様がどこかに描かれているかもしれない!!と思いたち、私の浮世絵図版を総動員して探そうと試みたところ、最初の一冊であっけなく見つけることが出来た。
吉原へ通う客が利用する日本堤の風景。通は舟で日本堤へやって来るそうだ。
当世の絵師なども乗せていたかもしれない!?と考えるとワクワクする
江戸の労働者、ご先祖さまの褌姿が眩しい!
一方、庶民が乗る駕籠は町駕籠、辻駕籠などと呼ばれ、その担ぎ手は駕籠舁(かごかき)といい、駕籠屋に詰めて乗客を運搬した。さらに道中の宿場にはいわゆる雲助など無頼の輩が駕籠舁をつとめるものがあり、乗客とのトラブルが頻発したという。
wikiによる。ご先祖さまは雲助だったのか?いや、吉原で商いをしているんだから身元はクリアだったと思いたい。
それはそうと、私の江戸好きはやはり遺伝子レベルだったのか。と言ってもご先祖は江戸に来る前の出自は不明だが、その後少なくとも母の世代までは江戸にいたし今でも従兄弟たちは江戸に住まうのでそう言ってもいいだろう。
なぜか江戸文化に惹かれ、吉原に惹かれ、それが高じて日本画の世界に踏み込んだ。そう、元々は浮世絵から私の日本美術好きはスタートしている。決して仏像だの運慶だの若冲だの花鳥画だのではない。江戸の日常を描いた浮世絵を切り口に、そこから世界が広がっていった。
だから、ルーツを聞いて納得した。何年か前にスピリチュアルリーディングをしてもらった時も、前世は吉原にいると言われたのだっけ。その時はただ単に私の好みを読み取ってくれたのかなと思っていたが、裏付けされた。
母は幼い頃から舞台(歌舞伎)を観に連れて行ってもらっていたようで、羨ましい。江戸文化を知るには江戸歌舞伎の世話物が手っ取り早いので私ももっとたくさん観たい。落語も楽しいが少々敷居が高い。江戸のアイテムを頭にイメージ出来ないと楽しめないが、どちらにせよ上方ではなくやっぱり江戸なのだ。江戸文化を知ること、自分でも楽しむことは一生の趣味として続けられる。史実から芸術まで範囲が広いしネタが豊富だからだ。そして、あれだけ華やかなカルチャーが生まれた土台には平和があり、それを維持し続けた徳川家って何だかんだ言ってもやはりすごいのだなと思う。
一時期、私自身も東京に暮らしていたことがあったが、今でも東京は好き。特に江戸城から北東、東、東南と東側エリアが好物だ。最近京都通いが続いていたので、改めて江戸の良さが身に染みる。
だから、ご先祖が吉原の篭屋だったことは、地味に楽しい。
基本的にお墓には入りたくないが、入れと言うのであれば、伝通院近くにある母方の実家の墓に入りたいと願う。
もちろん、典型的な湘南ボーイであった父の影響もあるので、ここ湘南も大好きではあるが(故郷の鎌倉を除く)。