音楽の繋がり

日曜日の夜は、地元のカフェで開催されたライブに出掛けた。
鈴木大介(ギター)&沢田穣治(ウッドベース)のセッションで、クラシックでもジャズでもなく、不思議な音楽感覚を楽しんできた。しっかし至近距離で聞くウッドベースの音は、脳に直接強烈な信号や揺れを送り込んでくる。ものすごくプリミティブな楽器だと改めて思った。

そして、本当にたまたまなのだが、ベーシストだった高校時代の同級生が昨年急逝していたことを知って愕然とした。

遊びでバンドを組み楽器を弾き始める子たちが多かった中、彼は幼い頃から地元のジュニアオーケストラでコントラバス奏者として名を馳せ、高校生の時点で左手の薬指と小指の長さがベーシストのそれだった。ゆえに飛び抜けて上手だったため、あちこちのバンドで引っ張りだこであったが、彼自身は当時からジャズを好み、すでにプロの音楽家になるという意志を持っており、その通りベーシスト、作曲家、編曲家として活躍していた。

彼の初CDも持っている。ふざけて「サインしてよ~」なんて言ってサインしてもらったが、宝物になってしまった。

その後、それぞれ結婚したり子供が生まれたりして、私のほうは地元を離れたり離婚したり色々あったので少しずつ疎遠になってしまった。でも、彼がプロになっていたことは知っていたので、どこかで「いつかまたライブで聞ける」という安心感があったのかもしれない。

しかし、もう会えない人になってしまった。

でも、彼の姿や音源はちゃんとこの世に残されている。彼自身はもっとベースを弾いていたかったのだろうが、10代の頃からブレずに本当にプロになり、音楽と共に生き、音楽家として亡くなったことはせめてもの救いだ。

10代の頃、2人でラフマニノフのチェロソナタに挑戦しようとして、(私はピアノ、彼がチェロパートをベースでやるというプラン)あまりの難しさに玉砕したのも思い出。その時に彼がコピーしてくれた楽譜は今でも捨てられずに大切に保管してある。昨日の夜はチェロソナタを聴きながら風呂に浸かり、少し泣いた。

私自身はピアノを弾くし、ブラスバンド時代はパーカッションを経験してきた。でもよく考えたら、身近な人々、つまり家族や友達、恋人が奏でる音を聞きながら生きてきた。音楽は日常にあるもので、人間関係を繋いでくれるものでもあった。高尚な趣味でも何でもない。空気のように当たり前にそこにあり、季節の匂いのように私のこれまでを彩り続けてきてくれた大切な要素なのだ。

同級生の思い出とともに、また色々な音楽が蘇ってきた。

彼の死を知るために呼ばれたような、そんな日曜の夜だった。