クルマで巡らないピアノと自画像

芸術の秋とかよく言うけど、私は季節を問わずゲイジュツしている。私だけじゃない、人間はみんな芸術家のはず。すでに5年目のおとな美大生の実感として、生きること自体がアート、アートとは生きること、と心から思っている。

さて、数ある芸術の中で私が最も重要視かつ愛しているのはピアノ音楽と画家の自画像だ。この週末はそれらを存分に味わってきた。

まずは超久々のピアノリサイタルへ。
先々週はKAJIMOTOのオンラインフェスで好きなアーティストの配信ライブを楽しんだばかりだが、やっとリアル公演!

ステージに佇んでいるグランドピアノ。
その光景を見ただけでテンションが上がる。

今恐らく日本で一番ピアノが上手な18歳、亀井聖矢くんのリサイタルへ親友と出かけてきた。ネット配信等で見るよりもずっと初々しかった。フランツ・リストの超絶技巧練習曲は初めて生演奏で聞いたが、聞いてるこちらまで手に力が入ってしまう。私は永遠に弾けないが、怖い物見たさで楽譜集だけチラ見したことがある。楽譜自体が芸術作品のようであった。幾何学模様に見えるのだ。

ベートーベンのピアノソナタ はすごく合っていたように思った。今日は「ワルトシュタイン」。これまでベートーベンは「もういい加減にしてよ」と毒づきたくなるくらいのクドさで苦手意識があった。しかし自分が挑戦するとなるとそうも言っていられず、一応は彼の人生や作品の背景を勉強することになる。なので、以前に比べてだいぶ苦手意識はなくなってきた。時折感じる暴力性も魅力だと思えるようになってきたのだ。

若さ弾けて厚みのある音がホールに響く。気持ちいい。本人はまだ少年の面影を残す好青年。早く海外に飛び立って、いくつもの山を越えて来て欲しい。今回はまだ座席も間隔を開けての配置だったので見た目が寂しいのは仕方がないとは言え、満員のホールでやっぱり弾きたいよねぇ。

そして、隣のパンフレットは私の目下最大の推しピアニスト、角野隼斗さんがついにサントリーホールデビューするという嬉しい宣伝。チケット取れたら必ず行く。ちなみに初めてご本人に遭遇した。

久々にちゃんとした音楽ホールで聴くピアノの音は私を異世界に連れて行ってくれた、いや違う、正常な自分の世界に連れ戻してくれたと言ったほうが正解だろう。ピアノの音が好きだ。ピアノという楽器が好きだ。それを奏でる人々も好きだ。私ももっと上達したい。

翌日はいつものお一人美術鑑賞。


上野の東京藝術大学美術館へ。上野駅の公園口は、あのかったるかった信号がなくなり、というか道路そのものがなくなり、駅前からすぐ広場になって快適になった。混雑してもいないが空いてもいない。動物園は行列が出来ていた。

お目当ては画家の自画像。正確には画学生の自画像だ。
東京藝術大学では、東京美術学校の時代から卒業生に自画像を制作させ、それを学校が収蔵している。そのコレクションから100点が展示されているというので、これは見なければ!と行ってきた。

こないだ美術史でスケッチした上村松園の『序の舞』もたまたま本物を見られた。実物はかなりの超大作なことにびっくり。それでも乱れを少しも感じない、相変わらずの緊張感をこちらに強いてくる画風だ。正直苦手である。

第二展示室ではお待ちかね、1900年代から1950年代の自画像に囲まれて心臓がドキドキしっぱなし。展示室をゆっくり3周もしてしまった。そして、

あっ、萬平くんだ!!また会えたね。

先週、上田の無言館で出会った中村萬平くんに再会。

戦地で最愛の奥さんの訃報を知り、異国の空に向かって泣き叫んだという。そんな彼も26歳で人生を終えてしまった。

無言館の作品は多くが当時の東京美術学校の学生または卒業生なので、今日も誰かに会えると思って来た。

この自画像、とても好きだ。一度見たら忘れられない。
4年後、27歳でルソン島で戦死。描きかけの恋人の裸婦像が遺されている。

このように、画学生一人一人に様々な人生があり、その生き様を彼らの自画像から感じたいと作品を凝視してしまう。

冊子より

まるで日本男児の変遷を見ているよう。時代柄、女性は2作品だけであとは男性ばかりだ。留学生も含まれる。とても見応えがあった。個人的に1900年代から1920年代くらいまでの作品に印象的なものが多かったように思う。それ以降はどうしても戦争の影がつきまとうので、無言館を思い出して辛くなる。

彼らの前に立ち、視線を合わせてみる。初めまして、と挨拶して、作品に近寄ってみる。友達になれそうな人、なりたくない人、彼氏にしたいタイプ、気取ったやつ、デリケートそうな人、イケメン、ぶさいく、変態そうな人、性格良さそうなやつ、意地が悪そうなやつ、ピュアな感じの人etc・・・楽しい。当たり前だがみんな上手いし。これだけたくさんの画家の自画像を一挙に見るチャンスはなかなかない。
ひとりひとり全部違う。これが人間の正しい姿だ。「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)は真理。絵としてもみんな違う。だから興味が尽きない。

私は日本画を学んでいるが、日本画とか西洋画とか自分の中ではすでに境界がなくなってきている。大学に入学してからは初めて触れる日本画という表現に戸惑い、ここ数年は日本美術をかなり集中して見て来た。が、その結果今はもう何でも良くて、興味を持てば見るようにしている。

クラシック音楽も美術展も、敷居なんか少しも高くない。無駄に高くしたのはスノビッシュな年寄り世代だ。だから無視していい。私たちには私たちの感じ方がある。音楽のサブスクやYouTube等、昔とは比較にならないくらい親しむ機会が増えている。そして、気に入った演奏やアーティストが見つかったらその時ちゃんとお金を落としてあげたらいい。

100人の自画像、つまり100人と対峙したので疲労困憊だが、良い週末だった。