クルマで巡らない『角野隼斗ピアノリサイタル@サントリーホール』

今年の3月から夏にかけての自粛期間。「一時帰休」となった私は自宅時間が増えた。良かったことは3つ。学校の課題が進んだこと、ピアノの練習が捗ったこと、そしてピアニスト・角野隼斗を発見したことである。

YoutuberであるCateen(かてぃん)としての顔は後から知った。最初に私が出会ったのは、サントリーホールのステージでオーケストラとラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を奏でる彼の姿だった。当時2018年。世界最高峰のピアノ協奏曲と言われる作品であるのと同時に、私にとってもかなり思い入れの強い曲でもある。椎名林檎で言う『丸ノ内サディスティック』のように、最初に聴いてから恐らく死ぬまでずっと好きな不動の曲なのだ。さらに、音源を聴いてみたいピアニストの選択に、この作品がレパートリーにあるかないかは私にとって重要なのである。ゆえに「日本人の若者でこの曲を弾きこなせる子がいたの!?」と好奇心で再生ボタンをクリックしたのであった・・・

あれから9か月(たった9か月か!)、ついに彼の音を生で聴ける日がやってきた。

チケット発売日は冷や汗もので、座席指定をしなかったことが無事確保に繋がった。モタモタしていたら売り切れていただろう。実際、5分以内で完売したらしい。席は2階の左側。正解だ。鍵盤と手元がよく見えるから。

まるでバレエ公演に来たかのような客層

ピアノという楽器は、弾き手によってその姿(音)が変わる。同じ曲を違う演奏家で聴き比べてみるとそれが如実にわかるだろう。現時点で私にとっての最高の音を出す演奏家はすでに亡くなっているロシア人ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒター(リヒテル)だ。彼の氷のような硬質で冷たい、そして鋭い音がたまらない。温かみのある優しい音色よりも、私は刺すような、ソリッドな音色が好きなのだ。角野隼斗の演奏を画面越しに初めて聴いた時、限りなくそれに近いと感じた。

先月にウィーンフィルを聴きにここへ来た。その時に、ステージ上にピアノが出て来ただけで感極まったが、今回はステージにピアノがたった一台。何て絵になる楽器なのだろう。

たった1人でこの空間に対峙する、プロの演奏家とはすごい。

公演は第一部がリアル公演。第二部が無観客ストリーミング公演という構成。しかもセットリストの事前発表は無し。これだけでもクラシックの公演としては斬新だ。聴くほうも新鮮な驚きを味わえる。実際、味わった。

彼が飄々とステージに登場し、深々と全方向に礼をし、ピアノの前に座り、静寂が訪れる。長めの静寂の後に叩き出された『英雄ポロネーズ』の最初の音を耳にした直後、呼吸すらも忘れた。この音を待っていた。鋭利な音の刃物で早くもぶっ刺された気分。なんか今週は泣いてばっかりだ。

クラシックは昔の古い音楽なんかじゃない。現代でも生きているライブミュージックなんだ。ということを実感する。そして、音楽とは時間芸術である、ということもこの日ほど心の底から実感したことはない。およそ200年前、リストやショパンの演奏を聴いていた観衆と私たちとの間には、何ら違いなどないのだ。200年前にも私のような女がいて、フランツ・リストの演奏会で泣いていたのだろう(ちなみにリストはイケメンな上にセルフプロデュースに長けていたので、熱狂的な女性ファンが殺到していたらしい)。

そして、現代。21世紀、2020年の角野隼斗。彼の演奏する姿の何と美しいことよ。正直に言うが、ピアニストは容姿も非常に大事だと個人的には思っている。特に横顔の美しい人であって欲しい。身体を大きく揺らしながら弾く演奏家も嫌いではないが、やはり端正な姿勢で淡々と紡ぎ出す美しい音は、私にとっては格別だ。シュッとした若い青年が奏でるショパンは「美」そのもの、芸術そのもの。ピアノ男子万歳!!おっさんが奏でるショパンも哀愁があってもちろん好きだが、やはり絵的に負ける。

アンコールの最後は、私が彼を発見したあの曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番から第2楽章をピアノソロ版で。通常、私は第1楽章のほうが好きなのだが、あの第2楽章の究極の美メロを生の音で聴くとやはり感情が突き動かされて涙が。心が締め付けられて痛みだすような高音が崇高過ぎる・・・この場所、この曲は彼にとっても思い入れのあるものだということが伝わってくる演奏だった。

自作の楽曲もあり、これまでのクラシック演奏会の型を軽々超えた新しい体験だったと同時に、私のピアノ愛もさらに高まった。クラシックの演奏会は観客側もいつの間にか型にはまりがちになるが(それゆえ敷居が高いと感じ敬遠される)、そうでなくていいのだ、と教えてもらった。ありがとう、ピアニストいや音楽家・角野隼斗。

私がファンクラブなどというものに所属するのは、椎名林檎と角野隼斗だけ

帰りの電車の中で、結局ストリーミング公演のチケットも購入。国内においてのクラシック音楽の殿堂、聖地であるサントリーホールを贅沢に使った素晴らしい映像と、ストリーミングならではの演出を堪能した。手元のアップで、右手の指に貼られた絆創膏が見えた。それを見てまた泣けてくる。これだけの才能があっても、壮絶な努力をしていないわけがないのだ。だから私は演奏家を尊敬する。演奏家だけじゃない。あらゆる分野のスペシャリストたちを尊敬する。

実は来年2月に彼が群馬交響楽団とラフマニノフを演奏する公演が予定されており、ひっそりチケットも入手してある。私が人生を通して愛してやまないピアノ協奏曲第2番を、角野隼斗のピアノでいよいよ聴ける。嗚咽を我慢して過呼吸状態になりそうだ・・・

以下セットリストの記録

Polonaise No.6 in A flat major Op.53 “Heroic”(Chopin)
英雄ポロネーズ

Nocturne No. 13 in C minor Op.48-1 (Chopin)
ノクターン 第13番

Ballade No.2 in F major Op.38(Chopin)
バラード 第2番

Etude in A minor Op.25-11 “Winter Wind”(Chopin)
木枯らしのエチュード

Waltz No. 6 in D flat major Op.64-1 “Minute Waltz”(Chopin)
子犬のワルツ

Big Cat Waltz (Hayato Sumino)
大猫のワルツ

Piano Sonata No.0 “SOUMEI” (Hayato Sumino)
ピアノソナタ 第0番「奏鳴」

Liebestraume No.3 S.541-3 R.211 (Liszt)
愛の夢 第3番

Hungarian Rhapsody No.2 in C sharp minor S.244-2 with Cadenza by Hayato Sumino (Liszt)
ハンガリー狂詩曲 第2番

<アンコール>

Piano Sonata K.545 〜 7 variations of”Twinkle Twinkle Little Star” (Mozart – Hayato Sumino)
ピアノソナタK.545 ~ きらきら星変奏曲

Piano Concert No.2 in C minor Op.18 II.Adagio Piano Arranged Version (Rachmaninov Arr.by Hayato Sumino)
ピアノ協奏曲 第2番 第2楽章 ピアノ編曲版