朝7時45分、夜行バスから奈良の地にひとり降り立った私。
ちなみに私は仏像はまったくの専門外だ。美術史に出てくる主な仏像を知っているくらいで、仏教美術なら仏画や曼荼羅などに関心がある。3Dは苦手なのだ。
しかし仏像とは芸術価値の反面、信仰の対象であることも忘れてはならない。それぞれの仏様たちにしっかり手を合わせてきた。
※お堂の中は撮影禁止のため、仏様の画像はお寺のHPなどから拝借している。
1.法隆寺
日本人なら誰もがその名を知っているメジャー過ぎるお寺、法隆寺。THEをつけても違和感ない。もちろん世界遺産。しかも日本最初の。国宝だけで出来ている寺と言っても過言ではない。まずはここに来なければ奈良は始まらない。夜行バスの降車場所に「法隆寺バスセンター」があったからバスで来たのだ。
お目当ては釈迦三尊像と壁画と百済観音像。朝イチの法隆寺は人も少なく、団体客もいない。職員の方が操るトンボの音だけが響く。
まず、金堂にて日本の初期仏教美術の最高傑作と言われている釈迦三尊像にご対面。聖徳太子のために制作されたらしい。本で見るとなかなか素敵だと思っていたし、課題でスケッチしたこともあるのだが、リアルでご対面するとそうでもなかった笑。
顔がダメなのかなあ。アルカイックスマイルは好きだけれど、美仏ではないな。脇侍の子たちもちょっとロリっぽいし。この頃はまだ渡来系の仏師が制作していたので、どことなくエキゾチックな雰囲気がある。一説によると、聖徳太子と同じ身長だそうな。
また、このお部屋には壁画が描かれているが、さすがにボロボロで当時の姿は想像するしかない。ところどころ赤いところが残っているので、赤好きな私としては嬉しいのだが、再現されたらかなり艶やかな仏画なのではないかと想像する。絵葉書で我慢しよう。
次に百済観音。
このお方はとにかく細長いところが他の仏像と一線を画している。というか仏様って感じがまったくしない。なんつーか、ヴィーナスのジャポン版みたいな?でもヴィーナスも神様だしな。お堂ではなく宝物殿の一角に安置されている。
特に指先が素敵なのだが、やはり拝みたくなるような像ではない。しかし像としてはよく出来ていると思う。ボロボロで表情もわかりづらいが、これが残っていること自体が奇跡なのだろう。
シンボルである五重塔も間近で見ると複雑で美しい構造物。建築は専門外なので詳しいことはよくわからないが(勉強不足なだけ)、超有名なお寺のわりに全体的に緩い雰囲気で、都が京へ移る前のおおらかさみたいなものを感じる。
宝物殿の中には、テキストや美術書で一度は見たことのある国宝、重文がわんさかあった(当たり前)。聖徳太子と言えば思い浮かぶのはあの絵だが、様々な年代の聖徳太子バージョンが見られたのも良かった。私の文化的芸術的中心は江戸時代の江戸であるので、この時代はもう遥か彼方なのだ。
2.中宮寺
ほとんど法隆寺と同じ敷地内にある中宮寺。正確には法隆寺夢殿のすぐお隣にある。池の上に建つ宮殿風のお堂。お目当てはミニーちゃんこと菩薩半跏像(国宝)。
これは写真で見るより本物のほうがずっと素敵。こんな仏様なら部屋に置いて眺めていたい。しばらく床に座って鑑賞。安置されている空間もセンスが良く、思わずこのお方に悩みを打ち明けたくなる雰囲気。ちなみに解説によると世界三大微笑のうちのひとつだとか(つまりスフィンクス、モナ・リザに並ぶってことよ・・・誰が決めた?)。何となく浅田真央ちゃんを思い起こさせる佇まい。彼女は飛鳥顔だったのか。
3.薬師寺
ローカルバスで薬師寺まで移動。近鉄の線路のすぐ近くらしく、踏切と電車の音が絶えない。
薬師如来の脇侍である日光/月光菩薩が目的。
やっぱ私的には如来様より菩薩様なのよねー、とか言いながらお堂へ。
デカい。華やか。そして、写真で見た予感通り、日光(向かって右)より月光(向かって左)のほうに惹かれる。同じポーズで対になっているだけなのに、なぜ月光に惹かれるのか自分でもよくわからない。
重心がちょっとずれているのがこの像の素敵なところ。西洋で言うところのドレ―パリー(布の襞の表現)もとても自然で優美。程よいボリュウム感の体躯も上質な色香を醸し出している。ゴテゴテした装飾がないのもいい。
中央の薬師如来の台座はとってもインターナショナル。ペルシャや唐の文様が彫られている。
しかし薬師寺での衝撃的な出会いはこの後だった。
本堂を正面に見て、右手のほうにある東院にそのお方はおられた。
聖観世音菩薩、通称「聖観音」と呼ばれるお方である。
私は今のところ、この方を奈良の美仏ベストワンに挙げたい。まあ、見てくださいよ。
この立ち姿。鑑賞している側(信仰者側)に何の強制も圧力もかけず、ただただスッとそこに立っている。このバランスの完璧さが素敵だ。
何と言ってもスタイルの良さ。後世の仏像と比較すると、古い時代なのに洗練されているとはどういうことなのか。男にも女にも見える。どちらに見えても美仏には変わらない。この像はトーハクにレプリカがあり、360度眺められるようになっている。横から見ると男っぽいのだが、前後から見ると女っぽい不思議な造形美だ。顔も表情もごく自然で、人間的。その上で美形だ。うーん、もっと眺めていたい。
薬師寺は聖観音に出会えたのでかなり満足度が高かった。やっぱり私はスマートな仏像が好みなのだ。これまで仏像にそれほど関心は抱いて来なかったが、自分好みの仏像発見は興味の第一歩になる。これは学校の学習面でもおおいにプラスになるだろう。何せ仏像関係の課題を出来るだけ避けてきたのだから笑。
4.墨を買う
薬師寺でかなり精神的に満たされた私であったが、興福寺という大きな伽藍が私を待っている。薬師寺のすぐ裏の駅から、人生初の近鉄に乗って近鉄奈良駅へ向かう。近鉄はエンジのカラーリングがレトロでいい。かと思えばオレンジ×ブルーのド派手な特急なんかも走っている。
近鉄奈良駅そばの蕎麦屋でランチを食べ(文楽という店の名に惹かれて入った)、しばらく周辺をぶらぶらする。ここで、奈良に来た第二の目的である「墨購入」を果たすためだ。
奈良は墨の産地である。最近、制作へのモチベーションが失われているので、手っ取り早くそれを上げるためには新しい画材を調達するのが一番だ。とは言え、私など初心者は茶墨か青墨か、くらいの選択肢しかなく、どれを使ったところでそう変わりはないレベルであるから、見た目で選ぶことにした。
丸い形が新鮮だったこちらの青墨をゲット。墨屋のおじいちゃん、ありがとう。
今月末には京都へも行くので、その時は筆と岩絵具を買って来ようと思う。
5.興福寺
興福寺へ来た目的は「とりあえず本物見ておこう」である。
多くの人は阿修羅像を観に来るのだろう。最近建立された中金堂が金ピカ竜宮城で映画のセットみたい。お堂の薬師如来に関しては、脇侍の2人の下半身が隠れていて魅力半滅。この時点で「興福寺ちょい残念・・・」と感じ始めていた。薬師寺と比較するまでもない。
一方、国宝館はさすがに「見せる」ために作られただけあり、見応えはじゅうぶん。やはり阿修羅の前に人だかりが。私はあの8人の中では、首だけ残っている彼(五部浄くん)がタイプ。阿修羅の本物はとにかく華奢。そして、他の像に比べて運ぶの大変そう。。。ってな感想。
偉いお坊さんたちの彫刻なんかもズラリと並んでいると異様な迫力が。皆さんアバラ浮き出てるし、苦しそうな表情だし、見ているとこちらも辛く。
ここに「山田寺の仏頭」なるものが展示されているのだが、私にとっては少々苦い思い出がある。日本美術史課題でこの仏頭のスケッチを描いたのだが、どう描いても漫画のキャラクターみたいに仕上がってしまって描くのを放棄した。だから、今でも好きではない。
いくつかの運慶の作品はパリで開催中のジャポニスム2018に貸し出されている模様。仏様を海外へ運ぶのは大変そうだ。絵と違って立体物な上に、古い。まさかバラして運んで組み立てて、というわけにもいくまい。
興福寺国宝館グッズショップは案の定、阿修羅グッズがてんこもり。私は特に欲しいと思うものがなかったので、次なる目的地、東大寺へ移動することにした。
6.東大寺大仏殿
東大寺は今回、二月堂が目的であり、大仏殿は眼中になかったのだが、二月堂へはまだ時間が早かったため大仏殿もついでに寄ってみることに。
ここの鹿たちはかわいくない。人間慣れしているせいか図々しいし。
大仏(廬舎那仏)は大きい、ということ以外に特に感じることはない。大きさに圧倒はされるが、それは感動とは違う。顔が嫌いだし体つきも嫌い。巨大は正義!と言われてしまえばそれまでだが、私は美しいのが好きなのだ。でっぷりした仏像は苦手である。しかし、スマートな仏像はせいぜい平安時代手前までで、それ以降はでっぷりだったりマッチョだったりが流行ったせいか、時代が進むにつれて好みは減って行く。
建立された当時は庶民を圧倒したであろう。
そう言えば私の故郷、鎌倉にも大仏がある。鎌倉の大仏は震災で首が少し前傾しているのが幸いして、奈良のよりもアンニュイな雰囲気を醸し出している。顔自体は鎌倉のほうが好きだ。
7.東大寺二月堂
とにかくここへ来たかった!!まずは写真をご覧あれ。
朝イチの法隆寺に始まり、寝不足の頭と体でさんざん歩き回って、足の痛みに耐えながらさらなる階段を上がって辿り着いたこの場所。正直、あまり人に教えたくない。東大寺と言えば南大門やら大仏殿やらが有名だが、ここは知る人ぞ知る美景スポットなのだ。観光団体の方々は大仏殿だけ見てお帰り頂いて結構。
お堂の隣に、小さな茶屋がある。母娘で営業されているようだ。5時までに登ればここで一服出来る。ゆず茶がとても美味しくて泣きたくなった。絶対にまた来ようと思った。
各種ランタンのせいか、中華あるいはベトナムを思い出す。やはり大陸文化の影響が色濃く残る時代だったせいか、京都の「ザ・ニッポン」な緊張感よりもエキゾチックで大らかな印象を受ける。
日没もいいが、日没後の暗くなってからがこれまた別格の美しさであった。多くの人は日没を見届けるとさっさと降りて行く。私は暗くなってからが美しいと確信していたのでそのまま寒さを堪えて立ち続けた。大仏殿の屋根が黒く浮かび上がり、後ろの平野の町に灯りが灯り始めてキラキラしている。遠くのなだらかな山のラインと相まって、「奈良に来た」という実感も味わえる。
誰にも教えたくないが、これを読んで下さっている貴方には教えます。二月堂、覚えておいてください。
8.東大寺南大門
昼間に通過した時は光の具合でよく見えなかったおなじみの仁王像。二月堂からトボトボと下ってくると、ライトアップされていた。テンション上がる。昼間見るよりずっといいじゃないか。
国宝独り占め。
言わずと知れたチーム運/快の大作。間近で見るとあまりの迫力に笑うしかない。そして運慶のプロデュース能力にただただ感心。短い日程でのプロジェクトだったようだが、この完成度はすごい。細部を見れば見るほどすごい。ただし私個人はこの頃の彫刻トレンドは好きじゃないのだけど。
奈良での滞在時間はおおよそ14時間ほどだったが、一応、見たいものは見られた。朝イチに法隆寺を持ってきて正解だった。ルートが逆だったら大変だっただろう。
それから、JR奈良駅より近鉄奈良駅のほうが何かと便利で都合がいいこともわかった。次回また夜行バスで来ることがあれば、迷わずに近鉄奈良駅を利用したい。
奈良は京都に比べて地味な印象かもしれないが、確かに正直かなり田舎である。都会の華やぎはない。ゆえにとても落ち着く。時代的に古いせいか当時のまま残っているものは少なく(それでも残っていること自体がスゴイんだけど)新しく作られたものはちょっと禍々しかったりもするが(興福寺中金堂が例)、何せ平和だ。
来週末には今度は京都だ。素直に新幹線で行く。京都では仏像ではなく特別公開の障壁画と庭を見るのが目的だ。制作へのモチベーションを上げるため狩野派などの大きくて派手な作品にエネルギーをもらいに行く。
しかし奈良は奈良でとても良いところだ。京都奈良をセットにするのはもったいないと思う。
また聖観音に会いに来よう。
写真の中のAさんがカッコイイ!
先日テレビで仏像のフィギュアを持ち寄って喜んでいるオタクをみました。私が見ても「ふ~ん」で終わってしまうのですが見る人が見ると感じるものがあるのですね!
ありがとうございます。1人旅の時は特に意識して自分を入れて撮らないと記念にならないことに最近気づきました。
オタク道とはどの分野でも到底他人には理解出来ない類のもの。私は特段、仏像にはハマらない気がしますが、それでも本物はやはり何かを感じます。