クルマで巡らない顔真卿

基本的にカテゴリを問わず、自分がしたくても出来ないことが出来る人々を尊敬している。わかりやすい例だと次の3つだ。
音楽を奏でられる人。クルマの運転が素敵な人。そして美しい字を書く人である。

どれも「コツコツと積み重ねること」が必要で、その上にしか成り立たない美を持っているように思うから。そのうち、音楽とクルマに関しては私も自らトライし続けている。しかし字だけはどうにもならない。正直、幼い頃から書道をやらせてほしかったと今でも親を恨んでいる。

そうは言ってもこの年になって日本画なんぞに手を出したせいで、書道がぐぐっと身近に迫ってきた。日本画の作品にも「賛」と呼ばれる、余白に字が書き込んである掛軸などを皆さんも見たことがあるだろう。それよりも何よりも、いずれ作品に自分の画号を署名する時どーすんだよ?これまで筆を用いて上手く書けた試しがない・・・猛練習をするしかない。

とにかく、敷居が高い。自分で書くことはおろか、鑑賞するのさえ畏れ多い。そこが絵と決定的に違う。墨や硯など日本画と共通するアイテムも多いのに。

そんなド素人である私が東京国立博物館の特別展「顔真卿」に行ってきた。

 

 

う・・・すでに嫌な予感。

この待ち時間・・・それだけ貴重な書なのだろう

最終日だし空いてるかも、と甘く見ていたがとんでもなかった。入館するにもこの列に並ばなくてはならない。

皆さん美しく並んでいらっしゃる

 

書道の経験も知識もないが、一応美術史なども学んでいるため、書聖・王義之という人の名前くらいは知っている。歴代の皇帝が彼の書を溺愛していたらしいが、いかんせん古い人だし(西暦303年生まれ)彼の直筆のオリジナルは残っていないらしい。弟子たちの模写(書道では何と言うのか?)が各地に伝わり、それによって王義之の書を味わうしかないようだ。特に今回の展示でも「蘭亭序」の前には人だかりが出来ていた。これは書道家のお手本として有名な書、と学校のテキストで習ったぞ。

主人公の顔真卿はもう少し後の人だそうだ(と言っても西暦709年生まれ)。

15歳で単身北京を旅した私は清代が好きで好きで、だいぶ勉強した。が、明代以前は長過ぎてお手上げだ。メジャーどころの三国志はあまりの登場人物の多さに途中で挫折し(NHKの人形劇は好きだった!)、項羽と劉邦は覇王別姫という京劇の演目でしか知らない(それとチェン・カイコーの映画もね!人生の5本に入る)。世界の悪女リストに必ず名を連ねている武則天は一度しっかり学んでみたいと思っている。

待ち時間80分という列の先には、顔真卿筆の「祭姪文稿(さいてつぶんこう、wikiによると中華史上屈指の名書、とある)」が展示してある。とてもその列に加わる勇気はなかったのでパス。私なんぞよりこの作品を必要としている人が一人でも多く早く見られるように。

 

唯一の撮影可能スポット。山東省にある「紀泰山銘」の一部で、実物大。展示はこのように拓本が多い。

さて、唐代のどの書家の紹介を見ても、「〇〇歳で進士に」という記述がある。進士とは科挙の最終試験に合格した人に与えられる称号。つまり、当時の全中華の中のエリート中のエリートの皆さん。
昔、北京を訪れた時に清代の官僚たちの書の展示を見て、科挙に合格した人々の想像を絶する底力に唖然とした。当然、汚い字の答案はそれだけで不合格なので、彼らが皆素晴らしい書家であることは疑いようもないのだが・・・彼らは役人でありながら詩人であったりもするし(余談だが科挙は知れば知るほど面白い。宮崎定一著「科挙」(中公新書)が長年の愛読書。横浜中華街で私のお気に入り店である「状元楼」の状元とは、その年の科挙合格者の中のさらにトップワンを指す言葉である)

どの書家の書も眺めているだけでも大変に美しいのだが、やはりよく見るとそれぞれ個性があるんだなぁ、とおぼろげにもわかってくる。しかし正直、それ以上はわからない!そもそも漢文が読めないのだから内容までその場で理解することは不可能なので、ビジュアルで楽しむしかないのだ。個人的には玄宗皇帝の書体が気に入った。ただの色狂爺と思っていたけれど、その字からは気品と賢さ、頑固さも感じた。

とは言っても、顔真卿の中華屈指の名書も、修正やらシミやらあるし書体もバラバラなように見えるし一体何がすごいのか?と思っていたが、図録の解説を読んだら泣いた。安史の乱で若くして討ち死にした彼の甥っ子(正確には従兄弟の息子)を悼んだ書であり、顔真卿の無念さ、悲しみ、そして深い愛情に目が潤んでくる。稀代の書家の感情が書体そのものに表れ、あのようにブレブレな文字となっているがゆえに名書なのだろうか・・・

書でも絵でも、生み出すのは人間なんだ、それは古今東西そうであり、だからこそ現代でも私たちの胸を打つのだろう、と感じた。少しだけ書が身近に思えた。やはり80分の列に並ぶべきだったか。

あちこちに押印してある落款の主が知りたい、と思っていたら、図録にしっかり解説が。


思い出すのは清の乾隆帝のエピソードで、自分の気に入った書画には何種類もの落款をポンポン押印していたらしい。案の定、この書にも三箇所くらい押印してあるようだ。他に宣統帝(ラストエンペラー溥儀)の名前も見える。

それにしても現代中国の簡体字は本当に残念。漢字は世界に誇る美文化であったのに。日本は漢字をちゃんと遺していて良かった。だから中国本土に行くと意外と漢字が読めない。原型を想像出来ない簡体字も多いから。

 

こういうのだけはしっかりやってくる

 

特設ミュージアムショップでは、書道屋さんが書道グッズを売っていて、かわいい筆置きや独特な形をした硯など、思わず欲しくなってしまうアイテムが並んでいた。筆もたくさんあった。日本画の展覧会の時には、こういった日本画グッズを売ってるのを見たことがない。悔しいので書道とは何の関係もない風月堂のゴーフルを買って帰る(笑)。

赤い壁と吊るしてある筆に反応してしまう

4月には憧れの水墨画の授業を受ける予定だ。入門クラスとは言え、墨は手強いので緊張する。だから、墨を自在に扱いながら美しい字を生みだす方々にさらなる畏敬の念を抱いた時間だった。

勉強と思って、重い図録をしっかり読み込んでみようと思う。いずれきっと何かの役に立つだろう。