クルマで巡らない「フランシス・ベーコン展」

話は先月に遡るが、記録と記憶のために書いておかねば。

私にとって葉山は言ってみれば、昔の私の黒歴史をすべて知っている町だ。ゆえにあまり訪問したくない町のひとつでもある。

しかし今回どうしても行かねばならない用事が出来てしまった。しばらく閉館していた県立近代美術館が開館したのだ。平日ならば迷わずクルマで向かうのだが、週末は何時間かかるかわからないため素直に電車とタクシーで。天気もあまり良くないし、体調も悪いまま。

横須賀線で逗子へ。
私は鎌倉で生まれ育ったため、このあたりは本当によく知っている。同時に今では嫌いな街でもあるため、懐かしい気持ちにはあまりならない。性格的に藤沢のほうが合っているのだと思う。

何度も通った道をタクシーの窓から眺める。葉山の町は海に面しているのに閉塞感がすごい。ここが藤沢と圧倒的に違うところなのだ。葉山は湘南ではない。

まあそんなことはどうでもよく、とにかくベーコンだ!

近現代美術史を勉強する中で、私にとって最大の発見が彼であり、今や憧れでもある。友人に薦められて読んだジョージ・オーウェル『1984』(英語版)のペーパーバックのカバーにもなっている。

眺めていてあまり快適とは言えない人物画、そもそも人体らしきものだということはわかるがこの人体らしきものに一体何が潜んでいるのだろう、と考えてしまうモティーフ、文字通り「ぐちゃぐちゃした」自画像など魅力満載。

気になった方はこちらで作品をざっと見て欲しい。

さて、今回の展覧会は、作家から大量のドローイングを預かったバリー・ジュール氏のコレクションを中心に展示。

ほとんどがフォトモンタージュであったり、写真やメディアの切り抜きに作家がドローイングした作品だったり(作品と言えるのかどうかはさておき)、作家自身はあまり「見せる」ということを考えていなかっただろうと思われるものが中心で、ベーコンの制作過程を垣間見られるような構成だった。やっぱ変態だろ!というのが私の最初の感想であり、ますますベーコンが好きになった。

ピンクやパープル、グレーの印象が全体的にとても強い。彼のアトリエの写真もかなり強烈だ。今でいう「ゴミ屋敷」のような空間で描いている。一般的な美意識など彼には通用しないのだ。

枠の中から出るにはどうしたらいいか、ということをよく考える。
絵を描こう、と思って紙を用意する。それはほとんど四角形をしている。無意識にその四角の中に何かを展開しようとする。その時点でもう枠の中に囚われている。誰に決められたわけでもないのに。そういうところで行き詰まりを感じたりする絵画初心者の私は、ベーコンのような「そこに留まらない動き」に憧れるのだ。彼の作品の暗さ、歪み、不快感、それと相反するような生真面目さ・・・彼はアイリッシュで、主にロンドンで活動していたが、イギリスって時々こういうモンスターを生み出す。まあロックが生まれた国なのでさもありなん、なのだけれど。モンスターだらけのイタリアとは比較にはならないけど、近現代のイギリス美術はやっと面白くなる、といった感じ。ベーコンの存在が大きく影響していると思っている。

体調が悪いので、2周くらいして退散。体調が悪い時にベーコンを見る、という自虐的な鑑賞だったが、人も少ないし、精神的にはものすごく満足した。

イギリス絵画と言えば多くの人が真っ先に挙げる風景画の巨匠ターナーだが、私はどうしても興味を持てない。そもそも風景画に興味を持てない、自然美に関心がない、という欠陥人間なので、ベーコンの作品群が私にもたらす安堵感は大きい。