クルマで巡らない富田直樹個展『ラストシーン』

共感と刹那。

初めて彼の作品を目にした時に感じたこと。懐かしくて、胸が締め付けられて、何だか泣きそうになる。感動とか魂の揺さぶりとか、そんな大袈裟なことではなくて、昔失くした大切なものを発見した時の嬉しさと驚きと、もう戻っては来ない時間への感傷かもしれない。

SNS等で様々な作家さんの作品に出会えるようになったが、実際に生で見てみたいと思う作品はそれほど多くない。富田直樹さんの作品は久しぶりに私を都内のギャラリーに向かわせる引力があった。

場所は外苑前。都内でも結構な高級地域だと思うが、

おや、愛しいルーテシア4こんにちは

MAHO KUBOTA GALLERY。都心のギャラリーってマンションの中にあることが多く、ゆえにかなり入りづらいのだが、こちらは1階だったし中の様子が外からも伺い知れたので、それほど緊張せずに入れた。

今回の展示のメイン作品で、私が富田直樹さんを知ることになった作品がこれだ。
想像以上の大作だった。やはり実際の「大きさ」は生で見ないとわからない。

181.8×227.3cm

フラッシュの光の当たり具合が、フィルムカメラで撮られた写真そのものを思い出させる。こういう写真、若い時は深い意味もなくたくさん撮ってたよね。

私がアメリカでの高校生活を終えて日本の高校に戻って来た時、美術の授業で描こうとした絵がこんな絵だった。男友達二人が夜の砂浜に座り込んで煙草をふかしているスナップ写真が元ネタで。そして、その時にその絵を仕上げられなかったことが積年の後悔となり、それが今さら美大通信の学生という選択に繋がったのだ。ということを、この作品と対峙したら唐突に思い出した。

近くで見ると厚い油絵作品なのに、遠くから見ると簡易フィルムカメラのスナップに見える。

他の作品たちも、

クルマの周りに集まってグダグダやってるのって、今でも私たちやってるじゃん・・・いい年して

ほら、この感じ!

手前のフラッシュの光の表現がとにかく懐かしい。ギャラリーの方のお話によれば、人物の作品は実際に「写ルンです」等で彼自身がなにげなく撮影した、90年代の日常を描いているとのこと。

風景画も、風景を描いているのだけど肖像画のような印象を受ける。風景画が苦手な私でもすんなりと受け入れられる理由はそのあたりにありそうだ。

クルマがね、描かれてるのがいい

画面からは押し付けが一切なく(ほら、きれいな風景でしょう?という押し付けがましい絵って結構あるのだ)、近づくと絵具の色が重ねられている厚いマチエールのみにしか見えないのに、離れると「私もここにいたよ」と思わず言ってしまいそういなるくらいに親しい画面に変貌する不思議。

ありきたりのワンシーンなのに、どうしてこんなにも胸がきゅんとするのか

他の作品たちは、こちらのリンクから是非。

富田直樹

これからも注目していきたい作家さんだ。

「クルマで巡らない富田直樹個展『ラストシーン』」に2件のコメントがあります
  1. なんと、私と同い年の作家さん。近くで見ると絵具をぺたぺたぺたーっとしているだけに見えるのにちょっとでも離れるとそれが凄くリアルなものになっている不思議。どういう計算でそうなってるの?と。その場の匂いや湿度すら感じられそうな気がします。90年代ということは、7~17歳くらいのときにこういう写真を写ルンですで撮っていたということで、なんでこの写真を撮ろうと思ったのかも気になります。「なぜ、これを?」と思わせる作品は好きです。

    1. ひろさん
      同い年だったんですね!高校生くらいの時の写真なのではないかと思いますよ。
      お友達らを気楽に撮った、という印象ですね。そうなんです、遠くから見ると写実に見えるんですよ。
      作品の中にクルマが描かれていると注目してしまいます。学んでいる大学の学生の作品には、ほとんどクルマは登場しませんね。
      圧倒的に自然が多いです。ゆえに、ちょっとZを登場させてみようかな、って気になっています笑。

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