少女と男とレオン・ボレ

サン-ブノワ通りからメコン河へ

フランスの作家、マルグリット・デュラスが好きです。
彼女の書いた本も、女性としての彼女も。原語で読んでみたい!と強く感じた作家のひとりです。
パリを訪れた際、彼女の住まいがあったサン-ブノワ通りを歩いてみました。

セーヌ川左岸、サン・ジェルマン・デ・プレ駅からすぐのところに、その通りはありました。瀟洒な住宅街です。
ここに彼女が住み、1996年3月、81歳で息を引き取ったと考えただけで厳かな気持ちになりました。

パリで迷子にならずに済むのは、このプレートのおかげです

 

デュラスを描いたイラストが壁に。

 

彼女のもっとも有名な作品は「愛人 ラマン」。なんと70歳の時の作品。

日本では愛人=女性のイメージですが、この作品の愛人とは、l’amant、男性を指します。少女は15歳半、男は彼女よりも12歳年上。
メコン河を渡る船の上で初めて出会った時から、少女はこの男が自分の言いなりになるだろう、とわかっています。そして、男に対して私はすることがある、ということも。15歳半にしてすでにファムファタール級・・・それは彼女が見られることに慣れていて、賛美されることに慣れていて、欲望への好奇心を隠そうともしないから。そして、家族への、特に母親への愛憎を持て余している彼女は、あっさりとこの中国人の男と情事を始めます。

レオン=ボレの官能

「18歳で私は年老いた」という強烈な一文を初めて目にした時、当時まさに18歳くらいだった私は目の前がクラクラしました。
デュラス自身の自伝とも言われるこの物語、舞台は仏領インドシナ、つまり現在のベトナムです。少女の愛人となる華僑の道楽息子が、運転手付きの黒塗りのリムジン、モーリス・レオン・ボレというクルマを所有しています。

渡し船の上には、バスのとなりに、白い木綿のお仕着せ姿の運転手のいる黒い大型リムジンがある。そう、それがわたしのいろいろな本に出てくる陰鬱な大型自動車だ。それはモーリス・レオン・ボレである。カルカッタのフランス大使館の黒塗りのランチアはまだ文学のなかに登場してはいない。
(清水徹 訳、河出書房新社)

 

モーリス・レオン・ボレ。人間の名前そのものみたいですが、どんなクルマかまったく想像がつきませんでした。


これです。お友達の「走る辞典」Fugupediaに探して頂きました。画像元はこちら。ザ・クラシックカーです。こういうクルマはやはり運転手付きじゃないとカッコがつきません。
初めて会った日から、このクルマが少女の送迎をすることになります。家、学校、そしてチャイナタウンの中の連れ込み宿・・・運転手のセリフは一言もありませんが、いつもレオン・ボレとともに影のように静かに付き添っています。

胸キュンなんか存在しない

男はいつも怯えています。マッチョなタイプではなく、今でいう草食系ですね。人種格差だとか家族問題だとかあらゆる苦悩があるのですが、少女も男も情事をやめようとはしません。少女のほうも母国フランスに帰国する日が近づいてきます。女にとって「肉体に刻み付けられた記憶」はそう簡単には消えません。日本ではプラトニックなほうが高尚だとされる傾向にありますが、私個人はそんなの信じていません。問題は、セックスが愛に変わるのか変わらないのか、です。
少女も最初は欲望への好奇心と家族への反抗心で彼と情事を始めますが、帰国の途で、突然気づくのです。

自分があの男を愛していなかったということに確信を持てなくなった。
(同)

私はいつもこの箇所を何度も何度も読んでしまいます。

最近は日本でも女子高生の主人公が花盛りのようですが、年齢にすると同じくらいの少女がこちらも主人公。しかし、こちらはもう胸キュンとかそんな域を軽く超えて、火傷します。18歳の時に初めてこの本を手にして以来、ずっと愛読書になっています。

 70歳でも少女に戻れる女

インドシナ時代のデュラスの写真を見ると、作品から受けるファムファタール的な雰囲気よりも、可憐で美しいお嬢さん、という感じがします。ゆえに生々しいのです。18歳で年老いた、と言い切れる彼女には、永遠に追いつけそうもありません。晩年ずっと寄り添っていた年下の恋人が口述筆記をした遺作「これで、おしまい」にも、中国人の愛人のことが少し出てきます。死の間際になってもまだ、デュラスにとって忘れ難い男、忘れ難い経験であったことに疑問はありません。「北の愛人」という別の作品も出しています。
70歳になってようやく、少女と男が主軸の物語をこうして公に世に出すことが出来たのですね。それを思うとまた泣けてきます。

彼女自身の愛車はプジョー405、であったとか。デュラスの文体は、日本語訳になっていても、とても読み辛く、独特のペース。原語で読めたらどんなに素敵だろう、と思って早ン10年。

映像作品にもなりましたが、音楽担当が「ベティ・ブルー」のガブリエル・ヤレドだったこと、ベトナムの風景が美しかったことくらいで、どちらかと言うと「エロ映画」だったのがちょっと残念でした。ただ、物語と同じレオン=ボレかどうかはわかりませんが、気品ある黒のリムジンは絵的にとても素敵でした。少女が帰国する際の港でのシーンでは美しい音楽と重なって涙を誘います。