「牛車」。
エンジンが牛なクルマですが、平安時代のセレブな方々の乗り物でした。
約1000年前のクルマ騒動
紫式部著「源氏物語」には、牛車が印象的なシーンがあります。それは、葵祭での出来事。
登場人物はまず葵の上。光源氏の正妻で、年上女房です。セレブリティなゆえプライドも高く、めったに感情を表に出しません。もう1人の登場人物は六条御息所。こちらは光源氏の愛人です。年上の未亡人で先の東宮妃というこれまたセレブリティ。葵の上は妊娠中、御息所は体調不良、2人とも気晴らしに祭見物に出かけます。渦中の男、光源氏が参列するのも理由です。そこで今で言う「場所取り」を巡って両陣営がトラブります。血気盛んで高飛車な葵の上陣営が御息所の牛車を壊してしまうんですね。御息所は辱めを受けたと感じます。しかも相手は自分の愛する男の正妻ですからね。
その時の様子を描いた作品群はこちら。
帰宅後にその事件を知った光源氏は慌てて御息所に謝りに行きますが、当然、門前払い。
厄介な女のプライド
葵の上も六条御息所も、プライドが高い女性です。特に六条御息所は洗練された趣味教養を持っているためちょっとしたサロンの主みたい。しかも美しい未亡人。若い光源氏にとっては理想的な遊び相手。特に正妻とは冷え切った仲であったのだから、彼女に夢中になるのもよくわかります。紫式部って本当に才女であったと思いますね。男も女も、人間というものを深く観察して書いている。だから今読んでも違和感がないのです。
この後、六条御息所は生霊と化して葵の上を苦しめることになるのですが、「身分も高く美しく趣味の良いわたくしのようなハイスペックな女が、あのようなチャラチャラした若い男に夢中になるなど何て愚かな」と自分を責めるところがすごくいじらしいんです。でも、恋ってそういうものなのよね、と裏で紫式部がナレーションしているような気がして。
京都の野宮神社には、黒木の鳥居があります。
現在の鳥居はテカテカしまくっていて情緒のカケラもないのですが、物語の中に登場する黒木の鳥居はとてもロマンティック。斎王になる娘と伊勢へ下る前に、光源氏がお別れに来るんですね。季節は秋、朽ちかけた黒木の鳥居、自ら決着を選んだ年上の女。寂しくも美しい情景が目に浮かびます。
平安時代もクルマはステイタス?
貴族はお金をかけてクルマを装飾することに余念がなかったとか。やっぱりいつの時代もそれは変わらないんですね。今回のクルマ騒動の他にも、物語のあらゆる箇所で牛車は登場します。牛車、私は乗りたいとは思いません・・・退屈で死にそうになると思います。
光源氏の長女である明石の姫君が帝のもとへ嫁ぐ時に立派な牛車に乗っていますが、実の母親である明石の君は身分が低いために徒歩でその牛車に付き添っているシーンも切なくて好きですね。その様子を紫の上が「哀れなことよ」と同情するのですが・・・
一番かわいそうのなのは、やはりあの人
入れ替わり立ち代わり、色々なタイプの女性が登場して飽きない源氏物語ですが、やはり一番かわいそうなのは紫の上であったと私はいつも感じます。何不自由なく光源氏に育てられたキラキラしたヒロイン的なイメージもあるのですが。
父親に邪魔もの扱いされて祖母に預けられ、そこで光源氏に強引にさらわれ、理想の嫁とすべく教育を受けさせられ、しまいにはほとんど強姦まがいで妻にされ、妊娠も出来ず、源氏が帝の寵姫と関係したことがバレて明石に流されている間はじっと耐えるも、源氏はさっさと現地の女性と子まで作り、その子の母親代わりまで務めた挙句の果てに源氏が年の離れた正妻を娶る、という。紫式部、あんたは鬼?と思うくらいにひどい人生です。
私が悲劇だと感じるのはそういった人生のドラマではなく、彼女の唯一の拠り所である光源氏すら、彼女自身に惚れこんでいたわけではなかった、というところ。源氏が本気で愛したのは生涯を通してたった一人。父の後妻、藤壺の宮ただ1人です。紫の上も、可愛らしい少女だと思ったら藤壺の親戚だってことで「身代わり人形」のごとく連れて来られてしまったわけで。チャラチャラと器用に女を渡り歩く光源氏の心の中には、もうずーっと、幼少時代から、藤壺の宮しかいない。晩年に娶った超年の差婚の女三の宮ですら、藤壺に縁の人だというだけで決めてしまったくらいですから。大人になって再読すると泣けてくるんですよね。何十年も人知れず同じ人を想い続けるのは辛いことです。報われないとわかっていても。ハリー・ポッターに出てくるスネイプ先生もそうでした。
いつの間にか牛車から話題が逸れてしまいましたが、大人になってから読み返す源氏物語もまたいいものです。華やかさの裏にある壮絶な苦悩まで描いた紫式部の力量に、1000年の時を超えて新たな感動を覚えます。そして、人間って変わってないなぁ、としみじみと思うのです。
ちなみに私は「朧月夜」の君が好きです。