彼が自分にとって、BMWやルノー25に乗っているあの型にはまった男たち同様、月並みで、魅力のない存在になってしまったと確信したのだった。
シンプルな情熱 アニー・エルノー著 堀茂樹訳 早川書房
ルノー25とは
「型にはまった男たちが乗る」ルノー25とは、そもそもどんなクルマなのか?ルノー乗りになってからまだ日が浅い私ですが、大変興味を持ちました。
この物語は、一人の中年女性が年下の男との情事と別れを描いた、パリが舞台の作品です。
彼女は教師で、とうの昔に離婚しており、息子2人はすでに自立しています。相手は10歳年下の東欧から赴任している外交官で妻帯者。ルノー25に乗っています。いわゆる不倫です。こんな風に書くといかにもハーレクイン的なロマンスに見えますが、そこはフランス。ロマンティックには程遠い筆致で淡々としています。
さてルノー25ですが、Fugupediaに訊ねたところ「ルノー25、サフラン、ヴェルサティス」と続く、ルノー最高級車のラインがあるそうです。大衆車の代名詞かと思っていたルノーのイメージですが、またひとつお勉強になりました。
見た目は上品で地味なセダンて感じです。でも速そう。現在のルノー車はフロントにどーんとLosangeがくっついていますが、こちらはとても小さくて、目立ちません。引用元のWikipediaにはちゃんとエクゼクティブカーって書いてあります。なるほど外交官が乗るようなクルマなのですね。走っている姿はそれなりに威厳ある雰囲気なのかもしれません。これに乗るような男は型にはまっている、ありきたりだと著者は書いています。
では、相手の男がどんなクルマに乗っていたら著者は満足したのでしょう? いえ、クルマの問題ではないのです。もし男がメルセデスに乗っていたら、きっとそれが「型にはまった男が乗るクルマ」になっていたでしょう。
頭は後付け、子宮が先ということもある
恋をした瞬間から(この物語で言えば、寝た瞬間から)、男は女にとって「型にはまった男」ではなくなります。特別な存在になるのですから当然のこと。ですが情熱を失ってくると、その男も「どこにでもいそうなありきたりな男」に成り下がります。いとも簡単に。そしてそれが汚点のようにすら感じてくるのですから、気持ちの変化とは恐ろしいもの。例えば、昔好きだった相手に偶然出会った時、意外と「けっこう普通の人だったんだな」って思うことがありませんか? もっと酷いと「こんな男のどこが好きだったんだろう」とまで思います。情熱を手放せばこんなもんです。
主人公の情熱(多分それを彼女は恋とは呼ばない)は、一度でも「寝ても覚めても考えることは相手のことばかり、いや、正確には相手と寝ることばかり」という状態を経験した女には身に覚えがあるはず。肉体が先か精神が先かは人にもよりますけれど、精神が先だとコケる確率が上がるように思います(自分比)。肉体が先で忘れがたい経験をしようものなら、あれよあれよと言う間にのめり込んで、この物語の主人公のような状態に陥るわけですね。子宮が先で頭が後。そして、頭のほうはもう終わりだと認識しても子宮は執着するがゆえに、今日も日本の、そして世界のあちこちで痴情の絡みが起こっているんでしょう。遥か昔からずっと。
彼のルノー25の二つの音、ブレーキをかけて停車する音とふたたび発進していく音に区切られた時間の持続の間、私は確信していた。これまでの人生で、自分は子供も持ったし、いろいろな試験にも合格したし、遠方へも旅行したけれど、このことー昼下がりにこの人とベッドにいること以上に重要なことは何ひとつ体験しなかった、と。
(同)
二つの音に区切られた時間、という表現がとても素敵。
対象が男であれ趣味であれ仕事であれ何であれ。女としての極上の幸せとは「情熱を燃やせる時間を持ったことがあるか」だと私は思うのです。