一般的な自動車情報や女性誌などで、一部のルノー車が紹介される時にほぼほぼついて回る「フランス」「オシャレ」というキーワード。どれだけ多くの人に「フランスのものってオシャレ」という刷り込みがされているかをよく表していると思う。
私は愛車ルーテシアを心底愛しているけれど、多分これまで自分のルーテシアに対して「オシャレ」という形容詞は使ったことがないと記憶しているし、それを周囲にアピールしたこともない。なぜなら愛車を「オシャレなクルマ」だと思ったことはないから。スタイリッシュでボディコンシャスでグラマラスでセンシュアルで・・・と愛車を褒めるカタカナはたくさん出て来るが、「オシャレ」ではない。ルーテシアがいくらメディアで「フランスのオシャレなクルマ」と表現されようが、オーナーである私はそう思っていない。周囲が強烈なルーテシア個体ばかりだからということを差し引いても、少なくとも私のルーテシアはオシャレとは違う。「オシャレなクルマ」としか形容出来ないクルマならば、ここまで惚れ込んでいない。
「フランスのもの」と聞いてすぐさま「オシャレだねー」という人は、フランスの何に「オシャレ」という印象を持っているのだろうか。丼鉢でミルクコーヒーを飲むことか?そうでなくとも何か具体的にイメージする対象があるはず。
例えばクルマ好きなら往年のフランス車に対する印象がそうかもしれない。ファッション好きならグランメゾンがいくつもあるし、料理好きならフレンチスタイルなのかもしれない。映画で見たり本で読んだりしたフランス文化そのものかもしれない。私はギュスターヴ・モロー美術館のスモーキーピンクの内壁と木製の螺旋階段を見て、心底「オシャレ過ぎる!!」と思った。一部のメトロの入り口のサインもオシャレである。でも実際のパリは、オシャレよりも「重厚」感のほうが印象的だった。伝統と歴史の重みがそこいらじゅうに感じられる町。私の印象では、オシャレという点ならばなぜかニューヨークのほうが上だ。
例えばカングーを見て「オシャレ」と感じる一般の人は、カングーが「フランスの(働く)クルマ」という前提があるからかもしれない。フランスのクルマはもうオシャレなのだ。その前提がなかったら「変わった形をしたバンだなあ」くらいにしか思わないのではないか。事実、私はカングーをオシャレと思ったことはない。明るい工具箱っていう印象。ファミリーカーではなく、玄人な感じのするクルマだと思っている。が、私の住む地域では、わざわざトリコトールの装飾をふんだんに取り入れた「走るフレンチ屋台」みたいな車体を多く見かける。装飾のない白やグレーのボディで、くたびれた感のあるカングーに気難しそうなおっさんが乗っているのをたまに見ると「そう、それそれ!」と思う(話し掛けたいとは思わない)。もちろん、玄人っぽく乗るほうがカッコいいと思うのは私の個人的趣味だ。
メディアやメーカーなど企業側も「日本人が憧れるフランス」を演出しがち。だから、ちょっとズレた記事なんかが登場したりするのだろう。
古いフランス映画は確かにいちいち何もかもが洒落ている(オシャレ、とはまた違う気がするけれど)。その後は日本のメディアが(主に女性誌)フランス=オシャレという図式を少女たちに刷り込んできた。10代の始め、多感なオリーブ少女だった私はもちろんそのイメージにまんまと嵌り込んだ。日本人としての自分の生活や周囲の物に比較すると、フランスのほうがきれいで洗練されている、という言葉に今は置き換えることが出来るが、今も「パリスナップ」というような見出しが躍る雑誌はついつい見てしまう。私も「フランス=オシャレ」洗脳を患ったひとりなのだ。
でも、結局私がフランスに対して一番羨ましいと思ったことは「事実婚が普通。婚外子は半数以上」という社会的要素なのだった。日本もひと昔前に比べて洗練されたデザインや美しい色の物が増えた。クオリティも高い。けれども私が憧れた「大人の国」にはまだ追いつけていない。私たちの親世代は、きっとそれがアメリカだったのだろう。その前はドイツだったかもしれない。
オシャレの定義は人それぞれ。クルマで言えば私はむしろ古い国産車に「お洒落」を感じる時が多い。日産ヘリテージコレクションや、先日のホンダコレクションでもそう感じた。
今後、現ルーテシアを見て「オシャレですねー」と言う人がいたら、「どうしてそう思われますか?」と突っ込んで聞いてみよう。
フランス車の記事を「書かなきゃいけない」場合はオシャレと書いときゃ良いだろう、ということになるんでしょう。
フランスはパリだけではない。農業大国であり、実用を重んじる国である。一見デザインコンシャスに見えるルーテシアも中身はしっかりしているわけですが、そんなことは表面だけ見ている人には分からんのでしょうね。
校閲が入ったのかと思いました(笑)。
ここまで世界中のクルマが似たような方向になってきている今、もう昔のようなその国のイメージ=その国のクルマ、というのは崩れてきている気がするのは気のせいでしょうか?そういう視点から考えるとルーテシアは未だ極めてフランス的なクルマなのかもしれませんね。私のゼンの場合、内装は驚くほど質素なのにシートが抜群に素晴らしいのもそうです。少し前に「フランス人は服を10着しか・・・」って本が売れていたようですが、あれもかなり誤解を招く訳だったようですしねぇ。