気がつけば今年も半分終わっている・・・仕事して課題制作して本読んでレポート書いて京都通って、合間にピアノ練習したり煙草吸ったりジム行ったり。
そんな私でも愛車のこととなれば無理やりにでも時間を空ける。
4年目の定期点検を終え、5年目の伴走に突入した。この4年で4万8千キロほどを共に走って来たことになる。問題点は皆無。この4年間で深刻な不具合も皆無だった。しみじみと、良いクルマだと思う。親バカだけれども、出来るだけ客観的に見ても良いクルマだと思う。
メカニックさん曰く、5万キロを過ぎたらプラグのこと気にしててあげてください、とのことだった。3気筒が2気筒になる???「それってシロウトにもわかりますか?」と聞いたら、「毎日乗られているので絶対にわかりますよ。気づいたらすぐ来てくださいね」と、安心させられたようで不安になるようなことをおっしゃる。
「愛は4年で終わる」と提唱したのは人類学者のH・フィッシャー博士。
愛車ルーテシアと私の関係性に限って言えば、愛は4年から始まる、と実感している。じゃあそれまでは何なのか。出会った瞬間からこれまでは、どちらかと言うと「ウイルスみたいな発熱性の恋」なんだと思う。それが4年近く続くのは愛車がモノであって人間ではないからだ(擬人化するとしても、私のルーテシアは人間ではなく美しい尾ひれのヒップコンシャスな赤い金魚だと思っている)。
人間同士では恋なんて一晩で終わることも多々ある。愛に変わる以前の問題であり、始まっていないのだから終わりもない。しかも私個人の見解では人間同士の愛など幻想に過ぎないのだと日頃から感じている。身も蓋もない・・・
だが愛車に対する気持ちははっきりと恋が愛に変わって行くのを感じる。
「私の愛車が世界一。なんて美しいんだろう。墓場まで持って行きたい」なんて惚けていた頃から、今は「他にも魅力的なクルマはいくつかあるけれど、何だかんだ言ってあなたが一番なのよね」という気持ちに変化した。これは自分の見聞が広がったせいもあるけれど。
ただ・・・不思議なことに未だに駐車場に戻って愛車が目に入る時に感じる「ああ、素晴らしいクルマだ」という感動は褪せていないのだ。だから、メーカーから発表されている新型ルーテシアも眼中にない。私にとってルーテシアとは愛車が唯一無二であり、このクルマを降りる時はまったく違うクルマに乗るだろう。
しかしそれはまだ先の話だ。
持ち主に似て、日々の機嫌の善し悪しはあっても飄々と伴走してくれる私のルーテシアには感謝しかない。
初めまして。
僕のルーテシアは、大病を患い、完治には相当の費用がかかり、再発も懸念されると、診断されました。わずか半年間でしたが、とても気に入り、これからというときに、どうしたものか。
もとより、突然の出会いで、10万キロ近く走っていましたので、末長くとは期待してはいませんでした。しかし、スタイル、走り、乗り心地や運転感覚が、とても好ましく、日々惚れ込んでいきました。似合うシーンがとても多いのです。
眺めては、悩み中です。
初めまして、ようこそ!
それは悩ましいですね…費用の問題もありますし。勝手なことを言ってしまいますが、大好きでしたらとことん世話をしながら付き合うのも素敵だと思います。せっかく出会ったんですもの。
惚れた男が病持ちで完治せず、ずっと治療が必要とわかって離れられるか?ということに似てますね。え、人間とは違う?(笑)
ご事情もあるでしょうが、気に入ったルーテシア、1日でも長く一緒に過ごして頂けたら、と思います。またお寄りください!
あぁ~そうなんです。そうなんですよ~。ルーテシアを所有したのにすぐ手放す人も居ますけど、まぁそういう人もいるよねでも私はそうじゃないんだよこの車最高なんだよ。他にも魅力的な車は確かにあるけど欲しいけどでも未だに最高に魅力的に見える瞬間がこの車にはあるんだよって。分からないの?あぁそうでも私にとっては最高なんだよって。新型ルーテシアが出てもふぅん本国ではもう販売されてるんだねふぅんで終了なんです。願わくば、随分古い車に乗ってるねぇと言われるようになっても元気に乗り続けたいです。
お返事遅れてすみません。最近会社で愛車を駐車する場所が少し変わり、光の当たり具合が変化して見るたびにきれいだなぁと思ってます。
そう、自分のルーテシアが唯一無二ですよね。他とくらべる必要も、張り合う必要もない、自分が好きならそれで良いのです。
私もまだまだ乗りますよー!
プラグだと、ただの「栓」になってしまいますので、本来はSpark Plug/点火プラグと言うべきでしょうね。
ガソリンエンジンですからSpark Plugで火花を出さないと爆発しないわけです。
なるほど。スパークプラグが正しいのですね。色々略されてますなぁ
間違った認識で覚えそうだから、プロフェッショナルな方々には特に正しい言葉を望みます。