ルーテシアを見た話

言うまでもなくこのサイトは私の個人的なサイトなので、私の主観主義主張偏見に満ちたことしか書いていない。今回もそれに則って、とある出来事をコンフェッションしたい。

通勤途中、前方の信号が赤になったのを確認したので速度を落とした。すると、ちょうど左の脇道から青いクルマが出て来ようとしたので、その青いクルマを前に入れた。それからチンタラ進んで止まり、ぼーっとしていているとものすごい既視感に襲われた。ん?なんか見覚えのある後ろ姿・・・あら、ルーテシア!

私は唖然とした。
何に? ルーテシアだと認識するのにこれだけ時間がかかった自分に、だ。
これまでは、ルーテシアらしき車体を見ると「あれはもしかしてルーテシア?わーいルーテシアルーテシア♪」と一人で異様なテンションではしゃいでいるのが常だったのに、この感動の無さは一体どうしたものか。ついに私のルーテシア察知アンテナがぽっきり折れたのか。

このルーテシアの青はブルー・ドゥ・フランスじゃなく(私にとってルーテシアの青とはブルー・ドゥ・フランス、下記画像参照)スバルっぽい青ではあったが、横道から出てくる時も、前に入った時も、ルーテシアだと気づかなかった。

まさにルージュ・フラム&ブルー・ドゥ・フランスな駅のベンチ

 

この理由は何となくわかる。
恐らく、パリであまりの多くのルーテシア(現地ではCLIO)が走行しているのを見てきたので、それが当たり前というか見るのに慣れ過ぎたのであろう。はっきり言って、一生分のルーテシアをあの一週間で見たと思っている。それは日本で言うプリウスやアクア並の頻度だ。パリにいる間も、最後のほうにはあまりにも慣れ過ぎて当たり前の光景になっていた。また良く馴染んでいたのだ、パリの街なかに、あの姿が。

こんなに好きなものでも、毎日毎日たくさん見ていると慣れてしまうものなのか。確かに美人は3日で飽きると言うし(この格言はブスが言い出したという説も)、毎日毎食グルメな食事だとコンビニ総菜が食べたくなるとか、どんなにいいモノでも享受し過ぎると関心がなくなる実例なのだろうか。恐ろしいことだ。

好奇心の方向がその時その時で変わる、つまり簡単に言えば飽きっぽい私でも、自分のルーテシアは見慣れることがない。
(また自画自賛かよと思った皆さん、正解です)

確かに、マイルーテシアやルーテシア仲間のルーテシア以降のルーテシアのことはあまり関心がなく良く知らないのだが、にしてもあの造形が目に入りながら一発でわからなかったことが我ながら衝撃だった。

前に入った青いクルマをルーテシアだと認識して以降、その後ろ姿を眺めながら私がぼーっと考えていたことはただひとつ。
「ルーテシアか・・・私のルーテシアの屋根の白いシミ、あれヤバそうだから何とかしなきゃな」

やっぱり、他人さまのルーテシアを見ても自分のルーテシアのことが気になるのであった。

 

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