次のクルマ選びに入ったわけではない。まだルーテシアには乗り続けるし、「次はこれに乗りたい」というクルマがないわけではないが、まだその時は来ていない。
私は自他ともに認める赤好きで、赤いものに惹かれるという習性があるが、赤と言っても星の数ほどの赤がある。貴方はいくつ赤の名前を言えるだろうか?
その中で自分の好みは青みのない黄味寄り(正確に言えば金寄り)の赤で、明度は陰を感じるくらいのほんのり暗め、という傾向がある。ざっくり言うとね。
ただ、赤が好きだからと言って赤いものを常に身に着けたり持ったりするには調整が必要だ。なぜなら、そもそも私のクルマも赤いので、赤い服を着て赤いネイルをして赤い口紅をつけて赤いバッグを持って赤い靴を履いて赤いクルマに乗るのは、ちょっとアホっぽい。だから、私の服はあえて黒、黄色、紺が多い。
色彩は突き詰めていくと数学科学物理学方面と繋がってくる一大学問となるので恐ろしく、突き詰めないようにしているのだが、まったく同じ色を再現したり、色を分析するには必要な知識だ。私のもっとも好きな色も、客観的に正確に伝えたければ番号を用いたほうがいいに決まっている。以前クルマ仲間とともに塗装屋さんのアトリエを訪問したことがあるが、理論的に色を扱うプロフェッショナルという点で大変興味深かった。
いくら「私の愛する赤」を正確に伝える手段があったところで、色の見え方や印象、感覚は1人1人違うので難しい。記憶に結びついたりして脳内で修正されることもあるし。
私は絵を描き始めてまだほんの数年の経験しかないゆえ、「この色!」と思って絵具を溶いて塗って一晩寝ると、翌朝には自分が思い描いていたのとは違う色が出現していることがよくある。乾いた時にどうなっているか想像するのはまだまだ難しい。そして、光の具合や周囲に存在するものによってその見え方は変わるので厄介だ。
私のルーテシアがいい例だ。夜のコンクリートな駐車場で、灯りが直接ではなく反射光がほんのりとお尻の部分に当たっているような状況で最も美しく見えると自分では感じている。タイヤとピアノブラックのボディ下部が地面にぼんやりと溶け込んでいくように見えるから。
しかし、これも隣のクルマの色が何色かによってもまた印象が違う。例えば同じ状況でルーテシアのジョンシリウス(←色の名前。私なら何と付けるだろうか)が隣にいたら、恐らく私のルーテシアは目立たない。コントラストで圧倒的に負けるから。
ちなみにこのメタリックが少し入ったジョンシリウスJaune Siriusという名の黄色、金色っぽい山吹色っぽいカラーは以前からとても不思議だと思っていて。その理由は驚くべきことに日本の街の中で浮いていない、ということだ。国産車の黄色いクルマを思い浮かべて見て欲しい。通り過ぎただけでものすごく目立つ。なんつーか、不自然な模型感を感じるというか。かたやフランスのクルマであるはずのジョンシリウスのルーテシアは、確かに目立つが悪目立ちしていない。むしろガチャガチャした都会の多色な街の中では、馴染んでいるように見える。その理由は、この色を分析すればきっとわかるのだろう。
赤好きだからと言って赤いクルマを見ると即座に「美しい」と思うかと問われれば、答えはノー。赤それ単体で見たら良い色かもしれないが、単体で見ることはほとんどない。多くの場合、周囲や背景と一緒に見ている。それを意識するのとしないのとでは、色の選び方に差が出てくる。
パリの街を例に見てみよう。
と、ルーテシアなどを例に挙げてきたが、例えば同じルノーにカングーというクルマがある。たまに色鮮やかな車体を見かける。ボディ色だけを四角に切り取ってみたら良い色だったとしても背景によってはまったく美しくなく、それらのビビッドな色の車体がズラリと並ぶ様は、夜店のスーパーボールのたらいの中を見ているようで、目に厳しい。私は苦手。秩序を無視しても美しく見えるのは至難の業だ。
カタログなどを眺めているとクルマ単体の固有色に意識を持っていかれがちだが、クルマは常に外を走っているものだから、自分が選ぼうとしているクルマが日常風景の中を走っている姿を想像するのも購入前の大切なステップではないかと思う。
そして、クルマのボディ色はクルマ自体のサイズや造形にも深く関わると思うので(例えば同じようなガンメタリックでも、カッコよく見えるクルマとそうじゃないクルマがあるように)次に選ぶクルマが何色になるかは私にもまだわからない。
ただ、背景や周囲を含めてそのクルマを想像した時に、どこかに「私が感じる美のツボ」があるクルマを選びたい。
愛車ルーテシアを気に入っている密かなポイントのひとつが、運転席から三角窓を見ると、車体の塗装が見えるところ。「美しい赤いクルマに乗っている」という現実を実感出来て幸せな気持ちになるから。