90年代前半、私は親になった

おひとり様レイトショーを敢行した。どうしてもスクリーンで観たい映画が、会社近くのシネコンで終映が近かったのだ。21時半からなので、一度帰宅し、雨の中Zを再び走らせて鑑賞してきた。観客は私を入れて2人、ほぼ貸し切り状態。心おきなく映画に没頭出来る環境。

その作品とは、これだ。

『アフターサン』

もうこのポスターだけで素敵な作品決定!!と信じ込んだのだが・・・・

主人公は、普段は母親と暮らす11歳の少女ソフィ。そして、離れて暮らすソフィの父親、31歳のカラム。この親子がトルコのリゾート地で休暇を共に過ごす。2人ともスコットランド人だ。食べて、寝て、泳ぎ、日光浴をし・・・そんなどこにでもあるリゾートでの親子の姿を淡々と紡ぐ映像が全体の90パーセントくらいを占める。そして、父カラムが入手したハンディカムが登場してからは、カラムやソフィが撮る映像も差し込まれる。

正直言って、私はこの作品について何から書けば良いのかまったくわからない。スクリーンで観終わって、ざわざわした気持ちのまま帰宅し、一夜明けてから急に思い出して咽び泣く、という変わった体験をした。それどころか、何をしていてもこの作品が思い出されてきて、そのたびに泣いてしまう。

この映画はやばい。前回書いた『ミッドナイトスワン』は、母親と娘の物語だった。今回のは父親と娘の物語だ。私は基本的にファザコンなので、この作品は当然11歳の娘ソフィに感情移入をしながら観ていた。兄妹に間違えられるほど若くてかっこいいパパ。素敵だな〜、例え離れて暮らしていても、あんなパパに愛されていると実感出来たなら幸せだろうなあ、などと思いながら。しかし、映像の中で、少しずつ父カラムの様子に違和感が出始める。それとは反比例に、ソフィはひと夏の数日間でどんどん大人っぽく垢抜けていく。この対比が後になってどうしようもなく辛くなるのだが、ソフィにとっては「それでも素敵なパパ」なのだ。そのパパが何かを抱えて苦しんでいる様子までは察知しても、それ以上は何も出来ない。一緒に楽しく過ごすことしか、11歳の娘には出来ないのだ。そして、観客は、現在目の前で進行している物語は20年前のもので、今、このビデオの映像を観ているのは、当時のカラムと同い年、つまり31歳になったソフィであることを知る。

一晩たって、私はあることに気づいた。ソフィに注目するあまり忘れていたが(!)、私は父カラムとほぼ同世代なのだ。そして、同じように20代初めに親になった。その事実に気づいてからカラムの立場で映画を反芻すると、泣きすぎて吐くかと思うくらいに涙が溢れ続ける。なんなんだこの映画は!

まだ上映中なので詳しくは書かないが、劇中で派手な事件も何も起きはしない。ただ淡々と時間が流れて行くだけだ。でも、その時間の一瞬一瞬がとてつもなく美しい。ターコイズ色の海。夜の白い波しぶき。鮮やかな花の色。赤いトルコ絨毯。パパの長いまつ毛。ゆっくりと画像が現れるポラロイド。呼吸をするたびに揺れる肩。最初から最後まで、物語を貫くどうしようもない寂しさ。それを見事に映像と音楽だけで観るものに伝えるハイレベルな技術。私は何度もスクリーンの中の構図に唸ってしまった。アート作品?いや、これは紛れもなく映画だ。さらに、劇中で使われている楽曲がこれまた懐かしく。R.E.Mやブラー、クイーンの楽曲がどんぴしゃ過ぎるほどシーンにハマって呆然とする。

20代早々に親になるということは、今思い返しても困難なことしかない。周囲はまだ学生だったり、仕事をしていて自由にお金が遣えたりするので、どうしても「置いてけぼり」感を食らう。当然、経済的にも苦しい。さらに、周りのママたちは当然世代が違うため、最低限の付き合いしかしない。若いということで損をすることが多い。人生設計を完全にミスったと思い込む。20代のキラキラした、あるいは人生の中でいちばん体力も気力も勢いもある期間を、子育てに費やすことの焦り。それがようやく解け始めるのは、子供が高校生になったあたりからだ。その時、まだ30代半ば。

けれどこの映画の中で、父カラムは31歳ですでに人生について悲観的だったことが伺える。私も人生を投げようとしたことが何度もある。人生を投げ出したいと思う時って、子供がいるとか仕事があるとか、そういうことは一切関係なくなる。ただもう全部ここで終わりにしたいと願う。幸い、私はどうにか終わらせず、ここまで来られた。でも、私だってカラムになっていたかもしれないのだ。

そんなことを考え始めたらどーんと陰鬱な気分になり、あまりにも美しい画面構成だからこそ余計に悲しみと寂しさが強調され、涙が止まらない。絵でも映像でも「説明が多いもの」に魅力を感じない人にはおススメ出来る映画だ。円盤化されたら手元に持っておきたい作品。

いや、その前に出来たらもう一度スクリーンで観たい。

「90年代前半、私は親になった」に2件のコメントがあります
  1. 本来の内容とはズレますが、車で行けるシネコンって意外と良いですよね。郊外というか田舎に移住して思います。都内で0時くらいに終わって電車で帰るのも有でしたが、駐車場にポツンと残る愛車で帰るのもオツだなと。

    1. リーパーさん
      私も思いました!映画の内容を引きずりながら自分だけの空間で帰途につけるのって、クルマの醍醐味ですね。
      『スピード』シリーズとか観たら飛ばしそうだけど笑

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