少女の夢を噛み締める

今朝、メルセデスGLS400dの後ろをずっと走っていたのだが、白いボディのリアに販売店ヤ〇セのステッカーが微妙に斜めに貼られており、ものすごく気になった。長方形だから曲がってると目立つのだ。私なら剥がすか貼り直す。ラジオのCMで「お客様だとすぐにわかるように」と偉そうに言ってるけど、もしDの人が貼ったのなら下手過ぎるし、そういう美意識を持ってないのって輸入車販売店としてどうなの、とは思う。ま、洗車の時に曲がったのかもしれないけど。

さて、生活のために仕事をし、家にいる時間は絵を描くかピアノを弾くか本を読むか、あるいは映画を観るか、で時間が埋まる。昔と違い、手軽に映画が観られるようになったおかげで、休日はあっという間に過ぎてしまう。ただ、映画館で観ないものを映画と言っていいのかどうかわからない。

長い間マイリストに入っていながらなかなか観る気持ちになれなかった『ミッドナイトスワン』をついに観た。草なぎくんのトランスジェンダー役でずいぶん話題になったらしいが、リアルタイムではあまり興味を惹かれなかった。

この映画は私にとって完全に「バレエ映画」だ。それを知っていたらもっと早く映画館で観たのに。小学生までバレエ少女だった私にとって、画面の中で少女たちがバレエを踊っているだけで涙が出てくる。バレエ用語が聞こえるだけでキュンとなる。映画冒頭のニューハーフショーパブでの「4羽の白鳥」の踊りも、私にとっては笑える出し物なんかではない。何せ私が生まれて初めて買ってもらったレコードはチャイコフスキーで、A面が「白鳥の湖」、B面が「眠れる森の美女」だった。大人になってから、一流のバレエ団の公演でこれらの演目を鑑賞すると、途端に小さな頃の自分に戻ってしまったものだ。

「みにくいアヒルの子」は実は白鳥だったんだよな、というのが最初の感想。でも、白鳥だって呪いによって強制的に姿を変えられた女の子かもしれない。

この映画は現在の日本のネガティブな面をこれでもかと詰め込んだ感があって非常に辛い気持ちになるけれど、大好きな1本になった。冒頭、服部樹咲さん演じる一果(いちか)が、草なぎくん演じる凪沙(なぎさ)のチュチュを着けてクルっと回るだけで泣き始め、ほとんど最後までグズグズしながら鑑賞した。

振り返ると草なぎくんや主演の樹咲さんは勿論なのだが、ヒロインの母親役である水川あさみちゃんがブラボーだった。役作りのために少し太ったのだろう、ああいうヤンキー上りのシングルマザーは全国どこにでもいるので、ものすごい説得力とリアルさがあって恐れおののいた。しかも広島弁、怒鳴ると迫力あるし。私は20代になって割とすぐに出産したので年齢的には当時で言う「ヤンママ」に近いものがあったから、若さから来る体力と勢いと自信で「子供くらい育ててみせるわ」という信念が芽生えるのもよくわかる。でも、年齢を重ねるにつれ、それがしんどくなる。たいていの場合、20代後半から体力が落ちてくる頃に子供の反抗期が重なるので、ネガティブなパズルのピースがハマってしまうとヤバイのだ。それを体現していた。『のだめカンタービレ』の頃から水川あさみちゃんは好きなのだが、振り幅の広い女優さんになったなあと思う。個人的には『後妻業』の新地のホステス役とか、はすっぱな役の時のほうが好きだ。

主演の服部樹咲さん、画面に初登場時から、歩き方と手足の長さで、バレリーナスタイルだとすぐにわかる。新宿駅東口で階段に座っている姿など、膝下の長さが驚異的だった。そんな彼女が適当な場所(公園の鉄棒やマンションの手すりなどどこでも)につかまってバーレッスンの真似事をする姿だけで私は泣けてきてしまった。役を演じる都合上、前半は下手くそに振舞わなければならないのだが、それでもその立ち姿がバレエに生きて来たもの特有の芯の強さを隠し切れていなかった。バレエを辞めて数十年たつ私ですら、いまだにバーレッスンの内容を反復出来るのだから、現役のダンサーが隠し切れるわけがないのだ。

この映画が「バレエ映画」である所以は、キラキラしたバレエ界を描いてないことにある。作中にもある通り、バレエはまず習うだけでもお金がとてもかかる。そして、何とかそれでレッスンを続けても、プロの踊り手になるには努力だけではダメで、まず容姿、次に才能、そしてそこから先が運と努力になるのだ。さらには下剋上の世界でもあるし、体は当然酷使されるし、相当にブラックな世界ではある。昔ナタリー・ポートマンが主演を務めた「ブラックスワン」もリアルだった。それでもやっぱりバレエは人間の体の美しさを堪能出来る芸術だと思うので、世界中にファンがいるのだ。例えば作中で、一果が凪沙と暮らす古いマンションの雑多な廊下でバレエを舞うシーン。彼女が踊り始めた瞬間、そこは汚い共用廊下ではなくステージに見えてくる。バレエとはそんな力を持つものなのだ。

すべての登場人物が心に多くの闇と、少しの光を抱えて生きている。草なぎくんと樹咲さんが公園で2人で踊るシーンがあるのだが、草なぎくんはさすが、身のこなしがしなやかだった。「性自認は女なのに、男の体で生まれてしまった」という演技を、少なくとも私は納得しながら観られた。母性とか父性とか、もうそんなのに性別は関係なくなっているんだと思う。また、血縁があるからと言って家族かと言えばそうじゃないことも。私も長らくシングルマザーをやってきたので、父親役も兼ねていたから、「母親の役割とか父親の役割とか、そんなんどうでもいいわ!」と思いながら子育てしていたことを思い出す。

観た後に、監督は『全裸監督』と同じ内田英治さんだと知った。容赦ない描写に、なるほど、と思った。でも、どこか第三者的な、ドライな印象を与える映像で、鑑賞する側に媚びてないところが良い。『全裸監督』は相当にエロシーンが多いのだけど、ちっともエロくないところが逆にすごいと思った作品。

時にはこういう映画をきちんと鑑賞することも大事だと思った次第。おすすめです。原作本も良かった。