料理嫌いの私の友達は、男女ともに料理が得意だ。うまく出来ている。
現在は同居している母がキッチンに立っているが、彼女がいなくなったら友人たちにお金を払って作り置きしておいてもらう算段。食材の買い出しすら嫌いなので、家事代行も使いつつ、料理をしないまま一生を終えたいと思っています。
幼い頃から好き嫌いが多く、「何でもちゃんと食べなさい」「好き嫌いがあるからアトピーが治らないのだ」など、四方八方から圧力を掛けられたことがトラウマになり、大人になってからはますます好みが激しくなりました。学校の給食時間は地獄でしたね。だから、食べること自体に関心があまりないので、当然、料理にも関心がない。一時期、料理をせざるを得ない状況だった時は苦行としか思えませんでした。食事に無関心なゆえ、同じものを毎日食べていても特に飽きません。嫌いなもの以外なら何でもいいんです。先日も母親に「適当に食べてないで、ちゃんと苦手なものも食べなさいよ」と言われたので、「はぁ?この年になってまで嫌いな物なんて食べたくないんだよ!」と喧嘩になりました笑。
今でも、料理が上手い女はそれだけで結婚候補になるようで、料理教室の主宰女性が「男は食べれば必ずオチる!」みたいに豪語してました・・・何という時代錯誤。いつまで昭和の良妻賢母神話に毒されているんでしょうか。私が思うに現代は逆も言えることで、料理の上手な男性だってじゅうぶん結婚候補になりますよ。
こんな料理嫌いの私でも唯一認める点、それは「料理とはクリエイション」だということです。創造活動とも言えます。芸術活動とも言えるかも。しかも、「味わえる創造活動」。お菓子なんかもそうですよね。だから、私は料理が出来る人を心から尊敬しています。上記の「結婚するための料理」みたいに理由のある料理ではなく、料理あるいはその行為そのものを楽しんでいる人たちを本当に尊敬しています。
「クルマの運転が上手な人」「楽器が弾ける人(歌が歌える人)」に加えて、「料理を楽しんで出来る人」は私の3大尊敬人種なのです。
「何が食べたい?」と聞かれる質問に対しては「ラーメンと寿司以外」と答えるようにしています。これまでの経験から、それ以外の店だと必ず何かしら食べたい物があるからです。ラーメンと寿司だけはちょっと難しい。中華なら大好きなんですけど。そんな食事オンチの私でも、「不味すぎて二度と入る気がしない」店がひとつだけありますが・・・・・
幸い、地元の藤沢は様々なお店があって助かっています。チェーン店からローカルな店までバラエティ豊か。そしてどの店も感じが良く、嫌な思いをしたことがありません。いかに料理しないで生きて行くか、が重要な私には心強い街です。でもやっぱり、知っている人が作ってくれた料理は格別です。料理が出来る友達は一生大事にしたいと思います。