自分自身に向き合う場所とは

自分自身に向き合う・・・
それは愛車ルーテシアを運転している時だったり、電車の中からうつりゆく景色を眺めている時だったり、何か描いていたり弾いていたり撫でていたりする時だったり、煙草の煙をくゆらす時だったり。

と、いかにもなシチュエーションを並べてみたけれども、実際に文字通り自分自身と向き合うのって化粧する時か、3週間に一度お世話になるあそこです。

そう、美容院。

大抵、仕事帰りに行くので鏡の中の私は疲れ切った顔をしている。おまけに、「今日はどうしてもらおうかな」とPinterestなんかでショートカットのスタイルを探してみるも、ショートカットのモデルさんは100%可愛い、あるいは美人しかいない。打ちひしがれる瞬間。だから結局もうどうでもよくなって、私のスタイリストCくんにすべてお任せ、って展開になります(最初の頃、ベリーショートにしようとした時に「大丈夫かなあ、橋田壽賀子みたいにならないかなぁ」と相談したら「絶対になりませんから大丈夫です。切りましょう!」と励ましてくれて以来、私は彼を信頼している)

そんな信頼出来るスタイリストがいることと、いざ大きな鏡にうつった自分自身と向き合う時の居心地の悪さは別の話。

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この方のコラムは毎回楽しい。わりと私の向上心に刷り込まれている「無知の知」という言葉を「ブスのブ」として言い換えられているセンスといい、美しいモデルを見て自分もああなりたいと商品を買うブスが経済を回しているとか、時たまドキッとする真実を盛り込んでいるあたりが今回も楽しいし、なんか共感してしまう。

それにしてもモデルが美人じゃないヘアカタログって気になる・・・

正直、私が美容院の鏡で「Face to Face」する時、ブスっつうか老化を容赦なく突きつけられている感じがします。「自分が思い込んでいる自分」(つまり美化した自分)を否定され、「ほら、これがあんたの真の姿だよ」と鏡の中の私に言われているようでね。

しかし!私はすでにそれを克服しつつあります。なぜなら自画像を描いているから。はっきり言って美容院の鏡の比じゃあありませんよ。これほどつぶさに自分の顔を観察したことがかつてあっただろうか、ってくらいに。まさに自己との闘いとも言えます。でも、これまで描いたどれも自分の顔じゃないみたい。どこかで無意識に手動で補正あるいは修正してるんではないかと疑っています。アプリを使わずとも修正してしまう己の欲の恐ろしさよ。

こういうところにも、男性の顔を描いているほうが楽しいという理由が隠れていそうです。

5月から続いたスクーリングはすべて女性のモデルさんを描くお勉強でしたが、私は正直、男性を描く勉強をしたかった。2人モデルさんを雇うなら、1人は男性にして欲しかったな、と思います。教えてもらえないなら自分で学んでいくしかないですね!

自分の顔に対しての耐性はついてきたつもりですが、心の準備が出来ていないままに突き付けられるシチュエーションはまだまだ怖いです。

 

「自分自身に向き合う場所とは」に2件のコメントがあります
  1. 3週間に1度ペースの美容院。それでいつもカッコイイんですね~。私も月1ペースで整えようか・・・
    橋田壽賀子さんは大仏さまみたいな感じですから全然違うと思います。笑
    モデルが美人じゃないヘアカタログ。結構見入ってしまいそうです。
    男性を描こうとすると無意識的にも美化よりリアルさを追求しませんか。過去に職場の人の似顔絵を描いたときそんなでした。

    1. 私が通っているところは良心的なお値段なのです。それとショートヘアって意外とメンテが重要なんですよね。1ミリ伸びただけでもシルエット変わっちゃいますから(男性もそうではないですか?)。
      ちなみに江戸時代のモテ男は「たった今散髪した髪」は野暮で、「2日前に散髪した髪」のほうが粋だったそうですよ。

      男性はそうですね、リアルさと私が感じるその人の魅力の追求ですかねぇ。まあ、私が魅力的だと感じる人にしかモデルをお願いしないだろうから、多分それは意識せずとも画に表れるように思います。

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