好事家は好事家を呼ぶ

今週末は大好きなルーテシア軍団に会える貴重なイベントを控えています。
美しいルーテシアと、好事家だらけのオーナーの集まりは毎回とても楽しく、大好きなイベントでもあります。

元来、とても人見知りな私ですが、ルーテシアを通して見知った好事家の人々とは好事家同士のためか話題に事欠きません。

私は感情的で振り幅の極端な、かなりの面倒人間ですが、
長年、来るもの拒んで去るもの追わず、のスタンスで付き合う人間はシビアにフィルタリングしてきたので、結果的に男女ともに気心知れた友達しか残っていません。この年齢になるとそれが威力を発揮してきます。

ただ、「基本的に言葉というものはこちらが意図した通りに相手に伝わるとは限らない」と思っているので、友達相手にも喋るのは苦手です。文章で綴るのは好きですが。

大人になってから出来た友達は、大学関係にしろ趣味仲間にしろ、何かひとつでも同じ世界観、または興味を惹かれる独自の世界観を持っている人とはお付き合いが出来ますし、そうでなくとも相手のどこかに心から尊敬する部分があれば受け入れられます。世界観と尊敬。これがキーワードですかね。

こんな記事があり、興味深く読みました。

全部じゃないけど、だいたい同感です。

では、私が人々と話したいと思うことって何だろう。

「知りたいこと」
これは例えばクルマについてだとか美術についてだとか、関心があるけど知識が追い付かないケースの場合、それを知っている人から話を聞くのが大好きです。それ以外のどんな分野でも、ディープな知識の引き出しを持った人と話をするのは楽しくて時間も忘れます。

「好きなこと」
上に書いたこととほぼ同じ意味ですが、語らせたら長いぜ!ってなことを相手からも聞きたいし、時には自分も話したい。それがどんなにニッチな分野だとしても。例えば私の場合、下ネタは嫌いですがエロティシズムについてなら何時間でも語れますし笑。

「体験談」
人生において、特に何かを「決断」「選択」した時のこと。良いことも悪いことも。

「旅」
出張なども含みますが、国内外問わず旅の話はいつでも聞きたいです。

「カルチャー全般」
映画、本、音楽、美術、歴史などなど。その中でもピンポイントで話が合うと盛り上がれます。あるひとつのテーマについて話をすることも好きです。

一番苦手なのはゴシップ関係と食べ物の話です。興味ないからでしょうね。ゴシップとは週刊誌ネタから周囲の人間関係のゴシップまで幅広く嫌いです。基本、自分とは接点のない他人が何しようがどうしようがどうなろうが興味がないためです。

逆に、自分から遠い立場の人だからこそ話せる、ってことも無きにしも非ずですが、それは滅多にないですね。

私は幸運なことに好きなこと、興味のあることがいくつもあるので、そして大抵のことは1人で完結する世界なので余分なことに心惑わされることなく生きていけますが、それが出来ない人たちの苦しみというものも昨今のニュースを見て感じます。
例えばインスタグラムなどでイイねをもらいがたいために自分の人生そのものをフェイクするとか、ちょっと信じられませんけどね。

先日、親友と「そろそろ色々なことが限界になりつつある世の中になってきてるね」という話をしていました。これまでは、自分の中に軸がある人のほうが生きにくい世の中だったと思いますが(出る杭は打たれる方式)、これからは反対になっていくのではないでしょうか。もう平成も終わりますしね。

私も現状に満足せず、常に今の自分を調整しながらアップデートしていけたらと思います。

 

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カテゴリー: LIFE

好事家は好事家を呼ぶ” への2件のフィードバック

  1. DRIVER "A" のコメント:

    雑談出来るスキルは羨ましい!ですが、だからと言って外向的であるかと言えば、ひろさんは違うと思いますよ。内に秘めたるものがあり、それを容易に出さないタイプなのでは、と推測します。

    私は黙り込むタイプなので、一緒にいる相手がおしゃべりタイプだと楽です(笑)

  2. HIRO@ のコメント:

    おかしい。私は自己評価として内向的だと思っているのですが全く当て嵌まりません。当たり障りのない記憶にも残らないような雑談を続けて居心地が悪くならない人とダラダラ過ごすのが好きです。捕まった人からすると傍迷惑かもしれません。これからは外向的という自己評価にしようと思います。

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