寂しい人はキラキラするのか?

何年か前にルーテシアをフィーチャーしたとんでもない記事が上がって以来、自称はいすぺっく男女のお笑いネタサイトとして認識している某メディア。

都内近郊の気の利いたレストランなんかを紹介する媒体(少なくとも雑誌のほうはそう)のはずが、下世話な記事を量産している。例えばこんな。

はっきり言って読むだけ時間の無駄なのではあるが、今回は「こういう女は私の周囲にもかつていた」と感じたので雑感を書いてみる。

美容医療に200万以上払うのはいい。誰しもお金をかける(かけたい)領域ってのはある。私は幸か不幸かン百万もコストのかかる趣味というのは特にない(強いて言えばトータル的にクルマと学費くらいか。旅行も豪勢な旅じゃないしね)のだが、他人から見たら「えー」と思うようなことであっても、その人にとって優先順位が何より高いのなら、とやかく言うことじゃないからだ。

しかし・・・私がなるべくお付き合いしたくない人に共通するものをこの主人公は持っている。

SNSでは誰でも容易に虚構の世界を構築出来る。が、実際を知っているともう痛々しくって見ていられない。

ひと昔前の映画のセットのようだ。表は色彩豊かに塗られて一見美しいが、裏に回ればただのベニヤで支えられているだけ。

そういう人がSNSにキラキラ投稿をすると、それにイイねをしている罪なき人々までお馬鹿に見えてきて非常に心苦しいので、さっさとフォローを外すに限る。しかし、そういうタイプに限って一日中隙あらばSNSをチェックしフォロワー数を常に気にしているので、外すとわざわざ理由を問われたりする。それで私は実際に一度ブチ切れたことがある。

好きなことや興味のあること、成し遂げたいことを他人と共有したい気持ちは当然だし、それこそSNSのメリットだと思う。でも、壮大な虚構を構築してまで他人から「イイね」と思われたいものだろうか。思われたいのだろう。

私は自分の好きなことに対して、地ならしが終わりやっとこさ基礎工事に手をつけたかつけないか、くらいのレベルだと思っている。知識も、経験もだ。おそらく死ぬまでにキラキラが完成することはないだろう。サグラダファミリアみたいなもので、作業が進んでも完成しないうちからすでに修復が始まる、という様相になりそうだ。なぜなら進んだ分だけ、ゴールもさらに遠くなっていく。もしかしたら途中で建てたい建物の形が変わり、一生基礎工事で終わるかもしれない・・・・でも、本気で好きなこと学びたいことだからそれでも構わない。その工程自体が楽しいし、自分にとって価値がある。

だから、ハリボテであることがわかった以上、さも実物風に装って「こんなことをやっている私って素敵でしょう?」と言いたげにUPする人に対しては「浅い」としか感じない。それをわかっていて、あえて共感するほど私は優しくもない。

そして、きっと寂しいのだな、と思う。実生活で自分の支柱となるものが何もないのではないか。下手したら、そのこと自体にも気づいていないのかもしれない。若い世代ならまだ背伸び感があって微笑ましくもあるが、同年代だと受け入れ難い。冷たい人間かもしれないが、人生も後半戦になると取捨選択は必要なのだ。

 

さて、記事に出てきた女のように「若くて美しいことが絶対的価値」だと思っている人は男女ともに多いだろう。若くて美しいのは「自然美」がそこにあるから当然に美しいのだと私は思う(そういう意味でヘッダー画像はティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」)。女だけでなく、男もそうだ。若いことはそのままで美しい。生き物とはそういうもので、老いに対しての恐怖心は古代ギリシャや古代インド哲学の時代からウン千年もの間、論じら続けている。

先日部屋の整理をしていて古いパスポートを見つけた。そこに写る私はお目目パッチリで、「うわ、今は顔のパーツが小さくなったなあ」と実感して笑ってしまった。だからと言ってその時代の顔に戻りたいかと言えばNOだ。
10代から現在まで、その時々の自分が一番だと思うように生きてきたから、若く見られたいとは思っていない。常に「憧れのおばあちゃん」像があるから、それに少しでも近づけるように、とは考えているが。だいたい肉体を巻き戻すこと自体そんなの不可能だし、20代の頃には20代の頃の美しい自分がいたはずだから、それでいい。40代の今は40代のベストな私がいるから無問題。少女の頃からフランス文化に影響を受けてきた成果が今、こんな形でフィードバックされているのだと実感する。

「若さ」に固執し、SNSで虚構を作り上げるという二重苦の物語ではあるが、こういう女は案外多いのだろうなと思った記事であった。男性はどうなのであろう。

(電車内で男性の髭脱毛の広告を見た時は絶句した。髭を魅力に感じる私からすればとんでもないし、「鏡に向かって髭を剃る姿」ってどんな男性でもお色気シーンになると思うの)

 

あたくしのザ・虚構とはこうである。

1920年代、阿片窟の遣り手女主人、という想定だ!!
しかし友達には「違和感あるなぁ。普段のAちゃんのほうが派手だしケバいよね」と思いっきり不評であった・・・

 

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カテゴリー: LIFE