京都は今、紅葉中。
そんなことは気にも留めず、スクーリングのため、いつものこだま号で大学へ向かった。
京都にいても朝から夕方まで校内に缶詰状態なので、文化財見学に行けるチャンスはほぼない。大学とは別にプライベートな旅として出かければいいのだが、「こんな頻繁に京都に通っているのに、プライベートでまで来たくない」が本音。
異変に気付いたのは朝、登校のバス内だった。
今回の宿は四条と五条の間くらいで、烏丸通を少し入ったところにある。いつもの市営5番のバスに乗ると、すでに満員に近い。
このバスが空いていたことはもちろんないのだが、いつもと密度が違う。
河原町あたりでさらに人が乗り込んで来て、ついに三条京阪では乗車不可能となった。今週末は三条京阪付近に宿を取っている。登校するのにバスではなく列車を使ったBプランが必要になるかもしれない。遅刻したら単位が取れない恐怖。
私は紅葉シーズン真っ只中に京都に来たことがなかったのでこの事態は予想だにせず・・・そして、8割くらいの客は「南禅寺、永観堂道」で下車して行った(余談だが京都の市バスの英語アナウンスはアンニュイな声質でエロい)。そうなのか、皆、永観堂の紅葉を朝から見に行く人たちだったのか・・実は私も授業後に夜間拝観をする予定だったので、ものすごくイヤな予感がした。
帰路では、市営5番バスは南禅寺をすっ飛ばして行くらしい。ならば手前の東天王町で降りて歩いて行くしかないのだが、降りてみると拝観の終わった人たちのながーい列が・・・ますますイヤな予感。
永観堂までの道のりもタクシーと人だらけ。さらに時々大型観光バスまで入ってくる。お寺の門からすでに紅葉がライトアップされていると、写真を撮りまくる人々で一向に進まない。極め付けは拝観料を払うのにテーマパーク顔負けの列が出来ており、アルバイトらしい若いスタッフが声を張り上げている。すでに私の中で気持ちが折れそうになった。こんな状態で紅葉や寺院を見て何かに浸れるのか?恐らくそれはないだろう。しかしここまで来たのだから、入るしかない。
境内も、地元の祭りでもこれだけの人は来ないだろうと思うような人混み。様々な言語が聞こえてくる。その格好や態度から「あんたら絶対普段は寺なんか来ないだろ」ってな人種もわんさかいる。ああ、やはり市街地付近にある寺はダメだ。静かに過ごしたいなら山寺しかない。思えば1月に行った蓮華寺は最高だった。
紅葉は、昼間よりもコントラストがくっきりなのでまぁまぁ美しく見える。赤成分が足りないが。私は水面に映る紅葉を観に来たので、そうじゃないところは足早にパスした。
まるで芝居の舞台装置のようだった。
水面の後ろは和風ビアガーデンの様相。
これが京都の紅葉シーズンか。もう来たくない。
最終日、学校から京都駅へのバスに乗り込んだところ、京都駅まで1時間かかった。人の乗り降りに時間がかかり、すぐに信号に引っ掛かり、繁華街は渋滞し・・・
帰りのひかり号に乗り込むと意識が遠のいた。
とりあえず「京都の紅葉」とやらを一部ではあるが見ることは出来た。しかし私の美意識は細分化されており、例えば安易に「紅葉きれい!」と思えないのが欠点である。どうしても自分の中の完成された美(プラトン風に言うなら美のイデア笑)と比較してしまい、やれ照明が明る過ぎだの、やれ寺は丸儲けだの、色々と難癖をつけたくなるのだ。
京都は、夏と冬がいい。
夏のあの恐ろしい湿度と暑さで「あちー」と言いながらダラダラ歩くのが京都だし、冬の凍てつく空気の中を「さむー」と言いながらダラダラ歩くのも京都だ。
何より、ピークに比べて人が少ない。
でも、いつ行っても京都は緊張感を強いる街だ。奈良と比較するとよくわかる。京都が好きかと言われると、他の好きな街(パリとか藤沢とか尾道とかNYとか)に比べてそれほどでもないのが正直なところ。
大学のスクーリングは日程的にきついが先生方が皆熱心なので、行ってしまえば頑張れる。そしてホームに帰ってくると、どっと疲労感が。
京都の美しい紅葉は、一流のカメラマンが撮影した写真で楽しむほうが私には向いているようだ・・・