読書と学習。

先日の夜中、大学の「単位取得試験」を2本受験し、履修予定だったすべてのレポート科目を終えた。すべての、だ。

やったぜ!

2016年度に入学してから、あらゆるレポートを書いた。レポートを書く、ということは当然、本を読む、ということだ。そして、多くの場合、指定されているテキストだけではなく、参考文献として複数冊は読むことになるので時間はかかる。特に哲学や思想系の本だと、最初に「入門書」として新書を読んだりもしたし、美術史系だと市販の美術史本の他に、あの重くて豪勢な「世界美術全集」を図書館からフラフラしながら借りてきたりもした。友人から漫画を借りたこともあるし、自分の本棚や段ボールに詰まった書籍をひっくり返す勢いで文献を探したこともある。Amazonで中古書籍を買ったことも多数・・・

私は不器用でマルチタスクが出来ない。だから、大学の課題でも実技系=絵を描く課題をやり始めると、それに夢中になり、四六時中それだけを考えているためなかなかレポートが進まなかった。逆にレポート執筆中はデスクの上を散らかせず、実技のほうにはなかなか手を付けられなかった。

その上、「自由に論じなさい」という課題は比較的評価のいいものが多かったが、「概要を述べなさい」「流れをまとめなさい」という課題はそこそこだった。だが再提出は一度も経験せずに済んだ。

この年になって「本を読みレポートを書く」という行為は正直ハードだ。好きな本しか読んでこなかったし、テキストの中には途中で眠くなるものだってあった。私は追い込まれないと奮起しないタイプなので、えらく時間がかかった科目もある。でも、それまで自分が触れてこなかった世界に強制的に入る、というのは決して悪いことではなかったと思う。

卒業資格124単位を得るためには、あと12単位が必要だ。しかしその12単位はすべて実技の課題であり、その中には100号サイズ(約162cm×130cm)の卒業制作も入っている。つまり、もう絵を描くことだけを考えればいいというボーナス期に入ったのだ!

そうなると不思議なもので、目に入るものすべてが絵的に見えてくる。何だかワクワクしてきた。一方で、100号という自分の身長に近い大作を描くのに恐怖も感じる。本当に描けるのか不安だ。

通信制とは言え、スクーリングで直接先生に指導して頂く機会もある日本画。それまでは鑑賞する側でしかなかった自分が描く側になり、実際に作品を制作されている先生方=アーティストのお仕事を近くで見たり、ここで学ばなければ得られない経験もたくさん出来た。ちなみに新しく出来た同期の友達は3人しかいない。その3人とも、授業中は自分の世界に没頭してひたすら黙々と作業するタイプで、おしゃべりしながら楽しそうに描いているおばさまたちのグループとは距離を置いていたためだ。私を含めて4人、そのうち2人はすでに卒業してしまった。

私はまだまだ入門者の域を脱していない。もしかしたら死ぬまで入門者かもしれない。上手な絵が描きたいという願望はあまりなく、「私の頭の中にあるイメージを視覚化するためのノウハウが知りたい」という思いで絵の勉強を始めた。そして何より、日本画の絵具は本当に美しいのだ。

なんか卒業するみたいな文章になってしまっているが、まだあと1年残っている(1年以上になる可能性は、さすがに無いと思いたい)。

これまで私が観てきた、あるいは聴いてきた、感じてきた古今東西のあらゆる芸術作品が、糧になっていると信じている。

これら偉大なる先輩方に、少しでも近づいてみたい。どうかパワーを。