クルマで巡らないムンク展

東京都美術館(東京都台東区)で開催中の「ムンク展 -共鳴する魂の叫び」をようやく鑑賞してきました。

上野公園の奥にある、暗い感じの茶色い建物が都美術館です。ここはわりと有名どころの展覧会をやるのですが、いかんせん展示空間がいまいち。これまであまり気持ちよく鑑賞できた試しがありません。

日曜の午後で、待ち時間はおおよそ30分。良くもないけど悪くもない感じ。若冲の時は2時間待ちくらいだったし。ただ、これだけ並ぶってことは展示室もかなりの人込みであることが予想され、ちょっと憂鬱。

今回は「叫び」が来日とあって、多くの人が訪れているようでした。
海外の美術館だと「モナ・リザ」みたいな超有名作品以外は比較的ゆったり鑑賞出来、お気に入りの作品とツーショットとかも可能なのですけど、やはり空間面積に対しての人口密度がザ・日本なのです。

「ムンクっつっても叫びしか知らない」と言う貴方こそ、是非この展覧会に足を運んで頂きたい。取っ掛かりは「叫び」でもいいんです。なぜあのような作品が世に出たのか、そしてムンクとはどんな男だったのかを知ると、「ムンク、なんか気になる」に変わります笑。

とは言え、死後自分の作品が極東の島国で大人気で、駅ビルでフェアを開催されたり、果てはポケモンなどというものとコラボレートするなどと、本人には想像を絶することでしょうね。意外とあの世から面白がっているかもしれないけど。

今回の展覧会の素晴らしかった点は、純度100%でムンクだったこと。日本の企画展でよくある「有名作品1点に、同時代の似たような絵画たくさん」ってことはなく、始まりから終わりまでムンクだったので、かなり濃い内容でした。途中で疲れてしまったし。ノルウェーのムンク美術館は新しくなるそうで、出光がスポンサーとして名を連ねているそうです。だから今回のように大量の作品を日本に貸し出されたのかなあ、と思いました。

私とムンクの出会いは、ロンドンまで遡ります。
通りがかったナショナルギャラリーで開催していたムンクの展覧会にたまたまフラっと入り、そこで今でも大好きな作品「灰」に出会います。それは私の絵画鑑賞歴の転換とも言える出来事でした。それ以来、自分が観たい作品とはいったいどのような世界観を持っているのか、を意識して鑑賞するようになり、ムンクの「灰」をきっかけにして陰鬱で不穏でネガティブでかつ情熱を感じる作品に傾倒していきます。今もその嗜好は変わっていません。

そして、10年前にも上野の西洋美術館でムンクの展覧会があり、そこでも「灰」に再会。今回も会えました!

その作品がこちら。

Ashes 1925

私の頭の中では、東京事変の「遭難」がイメージされる、そんな作品。
「もうどうにかなる途中の自分が疎ましい」ですよ。自分がどちらの立場なのかで見方も変わってくる作品だと思います。よくこんなシーンをこんな赤裸々に作品にしたなあ、と。好き。

 

Red Virginia Creeper 1898-1900

なぜあなたはこっちを見ているの?と毎回問いかけたくなるこの「赤い蔦」。
家を囲むくすんだ赤い蔦がいい。この赤い蔦は何を表しているのか色々な想像が出来ます。青白い顔との対比にいつも不穏な空気を感じて、引きこまれます。

「キス」はクリムトのそれよりも世俗的で、とっても好き。着彩してある作品よりもエッチングのヌード版のほうがぐっときます。背徳感満載。真昼の情事。カーテン開けちゃってるけど。男性の屈み方がエロいんですよ・・・

The Kiss 1895

 

それと今回はムンクのセルフポートレイトを若い頃から年老いた時期まで、数多く堪能出来たことも喜び。自撮り写真もありました。この自画像群を見られただけでも並んだ甲斐があったというもの。しかし相当な拗らせ男っぽい風貌。彼の人生の浮き沈みを考えれば当然なのですが、人間の苦悩という点で私たちは共感出来るからこそ、彼の特異な世界へ入っていけるのだと思います。

Self-Portrait 1895

今回の展覧会でまず最初に私たちをお出迎えしてくれるムンクおじさんのお顔がこちら。見るからに神経質そうで面倒な男臭がプンプンして、作品への期待を高まらせてくれます。

 

Self-Portrait in Hell 1903

地獄の自画像と言われている作品です。「私も自画像の背景に炎はアリか?」なんて思ってしまった。大変参考になりました。業火に焼かれる、というのはいつか描いてみたいテーマのひとつでもあります。他にも晩年までの自画像を鑑賞出来ますが、眺めているとなんか将来に希望が持てなくなる・・・ひっそり死にたい、と考え始めたり。だからこそいいのですが。

ムンクは多色刷りの版画なんかも残しているのですが、浮世絵を見慣れた我々からすると、技術的には決して良くないんですよね、むしろ下手。ただ、私が今回購入したバッグもそうですけど、そういったモチーフとしてはスタイリッシュになる不思議。

生首Tシャツも購入。

 

ただただ残念な点がひとつあるとすれば、解説がクソ。
時代背景とか技術的な点を補足説明する解説はアリだと思うのですが、鑑賞者の想像力を狭めるような解説はいかがなものか。「~かもしれない、~だろう」という言い回しで解説をするくらいなら無いほうがいい。絵画をどう見るか、どう感じるかは鑑賞者ひとりひとりに委ねられるべきであり、学芸員などが誘導すべきではないと私は感じてちょっと腹が立ちました。

鑑賞者はそこをあれこれ想像して自由に楽しめばいいわけです。それを遮るような解説は本当にダメだと心底感じました。

 

Madonna

聖なるものとは性なるもの。
セックスの恍惚を描いていると私は思うし、周囲の精子やら左下の水子(生まれてくる新しい命じゃなくて堕胎された命にしか見えない)やら、この直球の不穏過ぎるセクシュアルな世界観がとても好きなのです。解説は高尚な言葉が並んでいましたけど、エロ画と見るか神々しい画と見るかは鑑賞者次第。

皆さんも展覧会に出掛けた際には、作品解説をあまり鵜呑みにしないことをお薦めします。特に作品に対しての印象操作をするような解説は読まなかったことにしましょう。興味を持った作品は、後でいくらでも調べれば良いのです。今、目の前にある本物の作品から自分が受ける「何か」を大事に。

今回の目玉でもある「叫び」にはすごい人だかりが出来てましたが、やはり本物には本物のエネルギーがあるので、この機会にご覧になることをお薦めします。
売店では「叫びくんグッズ」も充実していました笑。

最近は何でもデジタル化して動かすのが流行のよう

100点近い作品、そして陰鬱で暗い作品が多いので、見終わった後はやたらと消耗します。彼もまた多くの芸術家同様、妄想、精神病、アル中、男女関係のもつれなどを経て、80歳で亡くなります。

「好きなように描け」と言われているようで、私もまた描かねば、と背中を押された時間でした。

皆さんも冬休みにいかがでしょう。

ん?クリムト様、来年来るんだ