クルマで巡らないギュスターヴ・モロー展

今月からピアノの先生のご自宅にてレッスンを受けている。これまでは街の音楽教室の一室であったが、先生のご自宅が勤め先からとても近いことと、グランドピアノを弾けるという2点において私は即決した。

最後にグランドピアノを弾いたのは一体いつのことやらもう思い出せぬほど遠い。しかし、鍵盤を前に座っただけで背筋が伸び、目が眩む。シロウトにとってグランドピアノには魔力がある。欲しい。いつでも絵が描けて、好きな本がぎっしり詰まっている棚とピアノがある部屋・・・夢だ。最高だ。それはクルマ好きな人々が屋根付き工具付きのガレージが欲しいと願うのと一緒なのではないか。食卓も台所も居間もテレビも要らない。アトリエ兼音楽部屋があれば私は幸せに死ねる。

アトリエと言えば、私が世界一好きな美術館がパリにある。モロー美術館だ。若かりし日、ロンドンのナショナルギャラリーを皮切りに私の美術館訪問は始まったのであるが、これまで訪れた国内外の大小の美術館を思い出してみても、ダントツで現在でも頂上に君臨するのがここ。ギュスターヴ・モローの住居兼アトリエを美術館として改装し公開している。

明日にでもまた行きたい

美術館とは作品だけでなく、空間や環境含めて「美術館」であるので、残念ながら日本の首都圏にはまるごと好きな美術館は皆無と言っていい。地方の美術館のほうが頑張っている印象がある。

パリの美術館についての草稿はまだまだ完成を見ていないが、モロー美術館へ再訪した際、職員の女性から「もうすぐトウキョウで展覧会があるのよ」と聞き、実際に貸し出し中の作品が掲げられていたところには、メモが貼りだされていた。

 

モローの作品は当然モロー美術館で見るのがベストなのだけれど、3月に見られなかった作品を見る目的で汐留にあるパナソニックミュージアムに足を運んだ。
初めて来たが、ここはルオーのコレクションが豊富らしい。ルオーは国立美術学校でのモローの教え子で、初代モロー美術館長だったという。そういう繋がりか。ちなみにマティスもモローの教え子である。

この美術館に向かう途中に、新橋停車場があった。

昔の新橋ステイションか。高層ビルの林の中にぽつねんとクラシカルな建物が佇む姿は不思議だ。いきなりモノクロームの世界。

 

 

おっと、入場制限がかかっている。仕方なくダラダラと20分ほど待ち、入場した。中は混雑というほどではないにしろ、人は多かった。平日に行った友達は「2人しかいなかった」と言っていたので、やはり週末は混んでいるのだろう。とは言え、モロー先生日本でもこんな人気があったのか・・・

美術展の傾向として、テレビで特集された次の週末は混雑する

 

パリのモロー美術館で見られる作品群の中で、私が「モロー先生ありがとう」と感じる理由はデッサン、素描が納められた棚である。完成した作品の素晴らしさは当然としても、描く側からすれば制作過程を見られるデッサンや下絵のほうが貴重だ。

今回の東京の展示でも、その棚から額ごと外されてきたデッサンが数点展示されていたが、パリに行けば膨大な数のそれを見ることが出来る。私など気づいたら3時間くらいそこにいた。しかも写真OK。

さて、今回の東京の目玉は、サロメを描いた「出現」。
これは私の部屋にも複製画を長年飾っているお気に入りの作品で、斬首された洗礼者ヨハネの首が空中に浮かびあがり、それに対峙するサロメが首に向かってまっすぐ指を指している構図。私が溺愛する生首シリーズでもあるが、サロメの挑発的なポーズがとても好きだ。恨みがましい表情のヨハネに向かって嘲笑うかのような。

ストーリーとしては、エロじじいのヘロデ王の前でストリップショーを踊ったサロメが、褒美に何が欲しいかと聞かれ、ヨハネの首が欲しいわと答えてからの惨劇。オペラなどではサロメがヨハネを愛してたみたいに描かれているが、私は否、と思う。ただの気まぐれだ。彼女は何とも思っちゃいない。痛くもかゆくもない。だからこそ魅力的。

しかしモロー先生の描いたモチーフとしては、私は「レダ」のほうが好きだ。
以前、某SNSでのハンドルネームとして使っていたのがこのレダで、白鳥に化けたゼウスに誘惑されているまさにその時を描いている。

パリのほうにある作品が一番好きなのだが、

東京にも別ヴァージョンが来日していた。

多くのフランス人画家がそうであるように、モロー先生の作品にもある時期から東洋的なモチーフが見られるようになる。彼の書斎を見学すると、浮世絵なども飾ってあった。「出現」もよく見ると仏教的な装飾が細かい白線で描かれているのがわかる。それによって聖書の世界でありながらもどことなく東洋チックな印象を感じて、それがサロメの妖しさをさらに盛り上げているように思う。素敵だ。

聖書、神話、寓話の世界は数多の画家がモチーフとして後世に残しているけれど、古代ギリシャ、ルネサンス、そして近代と私の好みは飛び飛びである。中世はガチ過ぎてあまり魅力を感じない。生々しさが無いからかもしれない。

モロー作品は、うっとりする上品な生々しさがある。

早くもまたパリに行きたくなった。