クルマで巡らない阿部清子画集出版記念展

彼女の画を初めて目にした時の私は、恐らく呼吸さえ忘れていたように思う。

今年も様々な場所で様々な作品を観てきたが、今年最後になってすごいのが来た。好きな作家さんのTwitterからの流れで阿部清子さんの画を発見、呆然とし、すぐさまAmazonで画集を検索、購入、そしてこのイベントを知って、疲労感はピークだったが湘南新宿ラインに飛び乗り、池袋まで飛んで行った。

雷に打たれたような、という表現があるが、まさに例えるならそれ。

彼女の描く画の何が私に今年最大の揺さぶりをかけてきたのか正直わからない。わかる必要もない。なぜなら、わからないのに眺めていると涙が出てくるからだ。それが答えなのだろう。

親友に付き合ってもらい、会場にほとんど一番乗りで乗り込み、すでに持っているというのにサインをもらいたいがためにまた画集を買って、椅子が並べられると最前列に陣取った。画家のライブペインティングを観る機会はそうそうない。自分の好きな作家であればなおさらのことだ。

ジュンク堂池袋本店にて

待っている間も、好きな作家の画に囲まれているという浮世離れ感を感じていた。そして、目の前の空白に何が現れるのか期待と緊張で全身に力が入ってしまう。

ほどなく阿部清子さんご本人が登壇し、池袋は地元なんです、という話をされ、鬼子母神を描くという。墨汁の入った瓶の蓋を彼女が開けると、墨の匂いがふわりと漂ってそれだけで私は泣きそうになった。

彼女の一筆一筆を見逃すまいと前のめりになって見入っていたので、あっという間に時間は過ぎてしまった。

空白の上に美しくも憂いを帯びた鬼子母神が現れた

 

終了後、サインを頂けた。


プロの画家に向かって何と言葉をかけていいか迷い、緊張し、結局「(新しい作品も)楽しみにしています!」としか言えなかった・・・・もっと溢れる思いを伝えたかったが、自分でもどう言葉にしたらいいかわからず・・・あぁ。

 

自分自身と逃げずに向き合ってきた人は強い。自分と向き合うのはほとんど苦行のようなもので、周囲の環境や人々のせいにして逃げるのが常だ。そのほうが楽だから。私もこの年齢になってようやく、それが確信に変わった。もう逃げてはいけない。私の目、耳、肌、鼻、頭で感じたすべてのことから逃げてはいけない。

そう考えていた矢先に彼女の画に出会い、彼女の画は私にとってその考えが視覚化されたもののように思えた。そして、日本画を学んでいる学生である私としても、墨と岩絵具で表現される人間像に今年最大の刺激を頂いた。生きてる人間としての自分、女としての自分、学生としての自分すべてに言葉にならないほどの影響があった。ゆえに、ぐったりと疲れた。高揚感のある疲れを感じるのは、自分にとって良い作品を観たという証拠でもある。

本当は原画が欲しい。当然、手が出ない金額ではあるが、買って応援したい。そう思えるアーティストに出会えたこと自体が今は幸福だ。サインを入れて頂いた画集は重要マイ文化財となった。

彼女の画に今、出会えたことに、感謝しかない。

 

私はどんな芸術であっても、それを創り出す人々を心の底から尊敬している。音楽でも美術でも書でも演劇でも舞踊でも本でも映画でもデザインでも。プロだけではなく、周囲の友人たちのように挑戦しつつ楽しんでいる人々のことも尊敬している。表現することは一見楽しそうに見えて実は闘いの連続だったりもする。紛れもなく自分との闘いだ。例えばスケールが小さいが、私の場合は今、ピアノの楽譜と闘っている。運指が上手くいかないとか、中間部の音が出ないとか、そういった些細な闘いだ。でも、そこでサレンダーせずに続ければ音楽を奏でられる。練習すれば今よりちょこっと上手になれる。絵のほうは正直闘いの連続と敗北の連続なのだが、死ぬまで続ける覚悟が出来た。人間は誰でも生きていることそれ自体がアートなのではないかという思いを強くしている2019年の年の瀬。

来年の目標は学生らしく、「もっと墨と仲良くなる」にしよう。

 

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