夫婦スリラーで涼む

最近読んだ翻訳小説は、2作ともタイトルにGirlがつき、2作とも夫婦の物語でした。

ひとつめの物語。
5回目の結婚記念日に、美しい妻が突然失踪。自宅には荒らされた跡やら血痕が。明確なアリバイのない夫を警察は疑いますが・・・

ゴーン・ガール

映画は未見。

 

ふたつめの物語。
絵に描いたようなリッチなカップル、ポールとクレア。ある夜、ポールが強盗に襲われて殺されます。葬儀の場にFBIが現れたことを不審に思ったクレアは夫の遺品を調べ始めますが・・・

プリティ・ガールズ

 

ふたつの作品に共通することは、「大恋愛をした末に結婚して誰よりも近くで信頼し愛してきた配偶者が、とんでもないモンスターだった」ということ。自分が愛して結婚した相手は何者だったのか。これは結構怖い。怖いけどある種のロマンもある。

積極的に周りに言えない趣味や性癖、嗜好は誰にでもある。だから、誰かとお付き合いする時は自分のほうを向いている面だけ見ていればいい。でも結婚となると裏側まで見なければならないことがある。見えてしまうこともある。

世の中には知らなくていいことが山ほどありますが、カップル間であってもそれは間違いなく存在します。「相手のすべてを知りたい」と思うのは危険思想だと私は思うのですが。そして、「 相手のすべてを理解しているつもり」なのも、また危険だと思うのです。

上記2作ははっきり言っていかにもアメリカらしい胸糞悪い極端な物語でもあるのですが(途中でお決まりのエェェー!?な展開や、マッチョ過ぎるシーンもあり)、一見普通のどんなカップルも小さなモンスターをその胸のうちに飼っている、と思いました。私もきっとそうです。例えばデートの相手がトイレに向かう後ろ姿に小声で罵声を浴びせるとか、その程度ですが。真のモンスターはそんな小細工はやりません。

依存関係や激しい一方通行、支配被支配関係であったり性的快楽が異常過ぎたりするとたちまち厄介で危険になる。それを突き詰めたのが上の2つの物語。かと言ってバランスが取れていると思える相手だって、そもそもそのバランスが真実かどうかなんて、当人以外はわかるはずもない。バランスが取れていないことで繋がっているカップルもいる。あなたは私の全部を知らない。私はあなたの全部を知らない。嘘をつく才能に恵まれた人間って実際いますもんね。

私の古い友人にも、家庭と外で徹底的に全く違う顔を持つ男性がいます。もちろん、外の自分が本物なんだとか。

「ゴーン・ガール」にはフォード・フェスティバが出てきます。「プリティ・ガールズ」にはポルシェ・カレラ、BMW X5、テスラ・モデルS。今時のアメリカの若い金持ちはテスラなのか。

アメリカのドラマや映画で描かれる通り、実際、地方都市の郊外や小さい町は本当に怖いです。大都会のほうが怖いってイメージがあるかもしれませんが、大都会は危ないエリアに近づかないという鉄則を守っていれば人も多いので私はそれほど恐怖を感じません。ですが小さい町は人もまばらだったり、暗かったり、納屋とかあった日にはもうそこから惨殺死体やサイコパスが出て来ても驚かないくらいの恐怖があります。ガレージや地下室もいやですね。私が滞在していたミシガン州の家庭にも地下室があり、洗濯機があるので行かざるを得なかったのですが嫌でした。こんなところで行方不明になったら絶対に誰にもわからないだろう、という実感がアメリカの小さな町にはあります。

こういったサスペンス小説を読むと目の前にその情景がイメージ出来て背筋が冷えますが、どちらのお話も「敵はパートナー」なだけに恐怖倍増。もし身近な人がモンスターだったら?という妄想に震えるのもあり。