横断的な世界観の旅

先月末に提出した大学のレポート課題でウォルト・ディズニーのEPCOT構想とサイバーパンクにおける虚構都市の比較を書いたことがきっかけで、そちら分野を熟知しているルーテシア 友達から本を借りたりおすすめ本を紹介してもらったりで、このところ連日連夜、異世界へ旅している。

ジョージ・オーウェル『1984年』、大友克洋『童夢』、岡野玲子『陰陽師』、士郎正宗『DOMINION C1』、そしてラスボスの『攻殻機動隊』など。映像作品は『MEMORIES』を観た。

SFとはこれまであまり馴染みがなく、『時をかける少女』もSFだよね、っつー認識くらいしかない。いわゆる宇宙モノに苦手意識があったからかもしれない。思い返せば宇宙モノでないSFは意外と観ている。『インセプション』や『クラウドアトラス』は大好きな映画だし、『攻殻機動隊』(最初のとイノセンスと、ついでにハリウッド版も)も映画版は観ている。

異なる感覚の融合、というものが実は大好きで、わかりやすい例で言えばクラシック音楽のエレクトロニカアレンジとか、残酷なシーンで流れる優雅なBGMとか、幸福そうに男を殺す女とか、古典的な音と最先端の映像とか、やたらとスタイリッシュな中華料理屋とか、そういうのだ。そして、このような私の嗜好が上記に挙げた『MEMORIES』の第1話、「彼女の想いで」に詰まっていて衝撃だった。

大学の最初の年に、老子についてのレポートを書いたことがある。
老子先生の言葉を読み解いて自分の考えを述べたのだが、書き上げた後に襲ってきたのは深い絶望感だった。人間はこの数千年、結局何も変わってないじゃないか、という絶望感。それは古代ギリシャの話も同じで、最近は古い偉人の言葉などを読むと気が滅入る。しかし、人間であるがゆえの美しさも私たちは失っていないと信じている。愛、という言葉は好きじゃないので、代わりに情とでも言おうか。

古今東西、人間は情を失わずに存続してきた。未来はどうなのか。人間が生身じゃなくなっても情は存在するのか。肉体は消えても情は存在し続けるのか。という疑問に想像力を刺激してくれる映画や本はいくつもある。

すでに昔描かれた未来というのはとうに過ぎている場合もある。『1984年』は1948年に出版された小説だ。そこに描かれた近未来としての1984年から、現在はすでに36年もたっている。

とは言え、昔からこういった世界観にどっぷり浸ってきたわけではないので、とても面白い。そして、これらは自分のイメージソースとして積極的に取り入れたいと思っている。日本画の卒業制作に向けて、どのような世界観の作品にするかというのは、これから1年間の大きな課題でもある。いくつものキーワードが浮かんでは消え、また浮かぶ。

そして今日も本を読み、絵を描き、妄想し、頭の中で旅をしている。