助手席は聖域なのか

助手席は恋人の指定席?

トピックをザッピングしていると、とある投稿が目に留まりました。それは、

「彼が新車を購入、最初に男友達を助手席に乗せた。最初に助手席に座るのは彼女である私じゃないの?」という内容。自分以外(例え男友達でも)を最初に座らせるなんて、私のこと大切に思ってないでしょ?って。可愛いなぁ、と思いました。彼のことを大好きな気持ちが伝わってきて、微笑ましい。そして、若いのにずいぶんと古臭い感覚の持ち主だなー、と思いました。

待ち焦がれた、納車の日。実際は1人でディーラーへ行きましたけど、もし誰か連れて行くなら当然クルマの話が出来る人だと思います。もし恋人がクルマ好きだったら連れて行くかもしれませんが、それは恋人だから助手席に座って欲しいとかではなく、ただ単に新しいクルマについて色々意見交換をしたいから。クルマにさして興味もない相手ならわざわざ連れて行かないだろうな、とは思います。別に納車デートにしなくてもいいわけで。私が冷めてるんでしょうか。実際、愛車を購入前、試乗に同行してもらったのはクルマ好きの男友達でした。

バブル期の「モテるクルマ」時代はどうか知りませんが、現在でも助手席ってそんな聖域?だって、誰であっても2人でクルマで移動するなら、助手席に乗るのがごく自然です。前後だと話しにくいですし。同性でも異性でも関係ありません。2シーターなら物理的に後ろに座るのはそもそも不可能。
「ここは君だけの指定席♪」とわざわざ言われたら、嬉しいか?私なら「そのセリフ、何人に言ってるの?」と思って鼻で笑ってしまうと思います・・・いや、恐らく「そんなことより運転させてよ」って言うと思いますね。

どこに座ろうが特別な人は特別

彼のクルマでドライブ、という憧れは年頃の普通の女の子なら持っていて当たり前だと想像します。こんな私でも遥か彼方の記憶をたぐり寄せると、確かにそういう時期もあったような気がします。でも、自分が特別な存在だから助手席、という考えは・・・記憶にありません。2人で乗っていたから、普通に前に座っていた、という感じです。例えば本当に特別で大事な存在なら一番安全な座席に座らせると思うのですが、それはつまり後部座席になりますから、それだと「私は客人か?」って、これまたへそを曲げそうですね。

助手席でも後部座席でも、場合によっては運転席でも、自分のクルマに迎え入れるのは誰でも特別だと私は考えています。その人との関係がどうであっても、自分の空間である車内に入ってもらうことは、私にとっては家のドアを開けるようなものです。

それとこれとは別なんだけど

新車の助手席に、最初に座らせてもらえなかった=大事にされていない。比較することでしか自分の価値を測れないことは寂しいと感じます。「仕事と私、どっちが大事なの?」って詰め寄るタイプと同じ。私がもし「クルマと俺とどっちが大事なの?」って詰め寄られたら「愚問でしょう、もちろんあなたに決まってるじゃない」と良心の呵責もなく平然と芝居するに決まってます。ソレとコレとは違うでしょ、って説明してもわからないタイプって、いるんですよね。もう、こっちも説明するのが面倒に。

彼のクルマの助手席に夢を見られる今が一番ドキドキして甘酸っぱい時期だと思います。いいなぁ笑。でも、ちょっと彼氏のほうに同情しちゃったりもしました。趣味嗜好や価値観は、皆違っていて当たり前。必要なのは相手に自分のそれを強制することではないと思うのです。また、無理に相手に合わせる必要もありません。大事なのは「違うということを受け入れること、認めること」ではないかなぁ、と思います。

「どんなクルマのどこに座っても私は彼にとって特別」と、この彼女が思える日が来ることを願ってます。