無気力過ぎて腑抜け

皆さん、お変わりありませんかの。

気がつけばもう8月も終わり。私は3月から時間が止まったままのようで、いや、7月くらいまでは色々と活動する気力が残っていたものの、8月に入りついに力尽きたという気がする。通勤は週1ペースなのでそもそもルーテシアに乗る時間も減り、週末は娘が乗り回しているような事態になっている。そしてまったく物欲がなくなった。例えば化粧品メーカーの新製品にも手を伸ばそうと思わなくなった。外出時はマスク着用のため、赤口紅コレクションも出番がなくなり、ただの飾り物と化している。今唯一欲しいと思うものはハイブリッドピアノくらいか。

今日は久々にフルタイムで出社したが、通勤道路ラッシュには辟易した。以前はこれが当たり前で何とも思わなかったのに、今では「どうしてこんなにクルマの数が多いのか」と、自分もそのうちの一台であるにも関わらずイラっとしている自分に愕然とする。定期的な洗車は続けており、変わることのない愛車の美しさは毎回再認識しているけれど、乗る時間が減ったのはちょっと寂しい。

気力がないと言いながらそれでも展覧会を2本こなし、

人がいないトーハク玄関。
都美術館の浮世絵展

トーハクでは、きもの展。江戸の火消したちの法被がカッコ良かった以外に特に感想はなく、その後廻った都美術館の浮世絵展も明らかに五輪の観客を見込んでの企画だったようで、「世界の皆さん、これが浮世絵です!」と言った感じの大味な展示で物足りなかったというか何というか。予約して張り切って出かけた割には充実感のまったくない時間だった。いよいよ感性が錆びつき始めたか。

その代わり、Amazonプライムで横溝正史映画を5本観た。
『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『獄門島』『女王蜂』『病院坂の首縊りの家』。
この体験のほうが自分としてはよほどアートだったと思う。

すべて監督は市川崑、金田一は石坂浩二。『犬神家の一族』以外は映画を観ていなかったので(原作はずいぶん昔に一通り図書館で借りて読んだ)、とても良かった。

田舎の旧家、金持ち、血縁の泥沼、殺人、闇を抱いた美人・・・好きですこの世界。特にお屋敷の重厚なセットは毎回素晴らしいと思って観ていた。緩やかな日本の田舎の風景と、カラヴァッジョの絵みたいな光と影のコントラストで撮影されているお屋敷の室内、飛び散る朱色の鮮血、そして華やかな着物を纏った昭和の女優さんが皆さんとても素敵で。映画女優ってこうだよね!という迫力がある。

とにかく画面のインパクトがすごい

『犬神家』は別格として、気に入ったのは『獄門島』。
何と言っても死体のビジュアルが鮮烈で美しい。特にド派手な着物を着た3姉妹。1人は木から逆さまに吊るされ、1人はつり鐘に首を斬られ、残る1人は白拍子姿で白目剥く・・・まあ、どの作品も死体の造形表現がすごい(『犬神家』の有名な彼らや、『病院坂』の生首風鈴とか、首にギターが嵌ってるとか)。リアルかどうかよりも、不気味で美しくヴィヴィッド。

そして、一番美しい女性がワケありだったり殺人犯だったりするのだけど、私は彼女たちがとても好きだ。古いしきたり、土地、血縁、過去にがんじがらめにされているわけだけれど、怒りであれ愛であれ恨みであれ悲しみであれ、彼女たちの信念にブレはない。「過去のことは忘れて前向きに生きましょう」なんていう考えはハナから持っていない。その潔さに惹かれる。何十年たっていようが、その信念を完遂し、自ら精算する。天晴な女性たちだと思う。むしろ男性のほうが受難だったのかもしれない。戦争というファクターが大きな位置を占めている以上。

いわゆるホラー映画とか心霊映画は苦手でほとんど観ないのだけど、前の記事でも書いたように日本古来の怪談や伝承はとても好きだ。

『奇想の国の麗人たち』という本を取り寄せて読んだ。絵巻や挿絵で綴られる日本の伝承文学のダイジェストみたいな内容で、私が好きな話はほぼ掲載されている(玉藻前、清姫、雨月物語、耳なし芳一、源氏物語、牡丹燈籠などなど)。みんなもともとは人間だったり、人間の姿になったりする。そこが重要。幽霊は見たことがないしその存在も信じてはいないが、人の情念みたいなものが何かをどうにかすることもあるのではないか、とは思っている。同じく取り寄せた月岡芳年の『月百姿』画集もそんな世界だ。自分が絵で表現するとしたら誰を主人公にするだろう。

最近読んだ本。美しき日本の伝承と東洋の華やかな美術と国内エロ事件史。

無気力な日々であっても、パイン飴を味わいながら読書に耽る時間が一番充実しているかもしれない。

からだの内側からエネルギーが高まってくるのをおとなしく待とうと思う。