誰があなたにクルマについて教えましたか?

擦り傷はコンパウンド大作戦でやや目立たなくなった。腰と腕が疲れたので適当なところでやめたが、もう少し続ければもっと消えるのだろうか・・・

ある日の夕方、目の前にルーテシア。懐かしいブルー・ドゥ・フランス。
本当にいいクルマだったなぁ、ルーテシア・・・と思いながら後ろ姿を見つめていた。

さて英文直訳みたいなタイトルになってしまったけれど、久々にクルマに関する物語について。

現在アマゾンプライムで視聴出来る『Modern Love season2』。これはアマゾンオリジナルドラマで、毎回30分ほどの1話完結ショートストーリー。多様な「愛の形」を描く優しくて切ない物語が詰まっている。続きモノじゃないので、どこからでも観られる。その中から、私が号泣した第1話を紹介したい。

第1話『あなたの愛したオープンカー』 原題 On a Serpentine Road, with the Top Down

舞台はイギリスのどこか。主人公は町医者のステファニー。オンボロだけど美しいブルーのオープンカー(STAGという、トライアンフのスポーツカーだそう)が愛車。しょっちゅう故障するので修理代が家計を圧迫し、修理屋からも「そろそろスクラップに」と言われ、夫からは「もう売りなさい」と諭される始末。仕方なく「For Sale」の張り紙を愛車のフロントガラスに挟み、買ってくれる人を募るのだが・・・

あなたにクルマの楽しさや運転の方法を教えてくれたのは誰だろうか?家族?友達?恋人?それとも自然に?
私は誰だろう・・・楽しさを教えてくれたのは父かもしれない。運転を教えてくれたのは歴代の彼氏たちだったかもしれない。

主人公ステファニーのクルマに対する愛情とこだわりの正体を知った時、多少なりともクルマとセットになる誰かとの思い出がある人にとっては胸の奥がキュっとなるに違いない。私は号泣した。クルマはただの工業製品ではなく、人の気持ちや記憶と共に生きるものなのだ。私が今回ルーテシアを手放して辛いのも、クルマそのものに対する愛情ももちろんだが、それ以上にルーテシアと過ごした日々の記憶があるからだ。でも、クルマがなくなっても記憶や思い出はずっと残る。もっと言えば、クルマだけじゃなく、あらゆるモノにも思い出や記憶は宿る。マグカップや時計なんかにも。そういうモノを、誰でもひとつくらい持っているのではなかろうか。

このドラマを観て、これまで私が乗ってきた(助手席含む)クルマたちが走馬灯のように目の前を走り去って行き、あのクルマたちはどこへ行ったのだろう、と思いを馳せた。

そして現在、私は念願のTop Down乗りになった。仕事帰りに屋根を開けて音楽を流しながら走ることがどんなに気持ちがいいか、大共感。私のZは古いとは言えまだ11年、STAGのようにすぐに止まったりはしないけれど、将来はあんな風になるのかもしれない。

このシリーズは短編ドラマとしてとても良く出来ているので、ちょっとした隙間時間に観るのに適しているのでおすすめ。

冷える季節になってきたようだ。
Z用のひざ掛けを2枚買おうと思う。運転席と助手席用だ。これから私のZに乗って下さるであろう皆さん、寒さは気にせず屋根を開けるよ!※シートエアコンもついてます

「誰があなたにクルマについて教えましたか?」に4件のコメントがあります
  1. とても良い作品を見つけられましたね!トライアンフのスポーツカー。このスタイルと色、完璧です。一目でこれが主役の車だと分かります。手放す直前にドライブに行く。大自然の中を駆ける。最高です。永く乗った車にはオーナーの人生が刻まれていますね。維持するには家族の理解も必要。BSで30年以上所有されている昭和の車を紹介する番組がありますが、どの車にも思い出があり、家族が理解してくれていることも分かります。そういえば、三浦市にあるリバイバルカフェのオーナーさんは女性でクラシックなオープンカーを所有されていますね。ちょっと立ち寄ってみたい場所の一つです。

    1. ひろさん
      良い作品ですよね〜!古いクルマを維持しながら愛情をかけて乗っていくには、家族を含め周囲の人々の理解は
      不可欠だと私も思います。「しょうがないやつだな」と呆れられるのもいいですね笑。
      クルマはその人の人生の時間を共有する存在でもあり、人生そのものを変える力を持つ存在だとも思います。
      今私がこうしてひろさんや皆さんとお話し出来るのもルーテシアというクルマを所有したからこそですし。
      三浦市のカフェとは、またそんなニッチな情報をよくお持ちで笑
      ご一緒した那須のGTカフェも素敵でしたね!

  2. 僕も、ときどき、あの車たちはどうしたのだろうか、と思う時があります。所有するのは、2年か4年くらい。新車でもなく、特に高価でも高性能でもなく、普通のクルマ、それとオープンの複数持ち。
    クルマによって、想いの多い少ないはあるけれど、時々、思い出します。ドライブした場所、助手席に乗った人、後ろに積んだ荷物。そのときのクルマ。
    もう一回乗ってみたいのは、我が家に初めてやって来たクルマだった中古のトヨエース。全然覚えてないのだけれど、頑張ったに違いない、とふと思うのです。

    1. トノサマカエルさん
      とても素敵なコメントありがとうございます。何だか泣けてきました・・・
      頑張ったに違いないトヨエース。普通のクルマたちもオープンのクルマたちも、
      こうして時々思い出してもらえて。

      私も幼い頃に乗った父のホンダ1300に、今ならドライバーとして乗れるのに、と思ったりします。
      (当時はクラッチペダルの意味がわからなくて、何度も父に聞いていた覚えがあります)
      クルマ自体がなくなっても、記憶や感触や匂いは永遠に自分の中に残るのですね。

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